牧神感 

父の遺句集や、父が若い頃に書いた小説などを読んでいる時に感じる質感の中に、自分には理解出来ない、感じ取ることが出来ない何かが含まれているのを感じる時がある。
それは違和感や反感ではなく、そもそも理解出来ない、知らない何かが目の前にあるような感覚、とでも言えばいいだろうか。
「感じとることができない何かを感じている」というのは奇妙な言葉だが、他に表現のしようがない。
そして、これに似た質感をどこかで感じたことがあるのだが、それがなんなのか、長い間思い出せないでいた。

ある日、それをどこで感じるのかに気づいた。
ブルーノ・ワルターという人の音楽。
とりわけ、ベートーベンの「田園」。

で、考えるに、私に感じ取ることが出来ない何か、というのは、

牧神

ではないか、と思うに至った。

そして考え込んだ結果、牧神はもはや人々のもとを去っていったのだろう、と思った。
父の晩年の句に、牛や馬が見えない世の中になったことを嘆く句がある。今にして思えば、父は牧神が去ったことによって、ずいぶんとつらい思いをしたのかもしれない。

そしてさらに考えた結果、
人類はもはや牧神を呼び戻すことができず、
人類は牧神を発見する段階にあるのだ、と思うに至った。

その作業は、私個人の生涯では全く不十分だ。
百年後の人類は、牧神を発見しているだろうか。

そんなことをぼんやりと考えて、夜は更ける。

そういえば、
“夜が更ける”というのがどいういうことなのかも、
人類にはわかりづらくなってきている事に、
みんな気づいているのだろうか。

「夜が更ける」と書くとき、
私はもはや半分くらい、過去の体験を援用している。

ひめしゃら塾 舞踏公演 『千羽織り』 

ひめしゃら塾 舞踏公演 
『千羽織り』

2009年 11/17 19:00〜
11/18 14:00〜 19:00〜
開場 各30分前

会場:せんがわ劇場
東京都調布市仙川町1-21-5 京王線仙川駅下車3分

前売¥2500 当日¥3000

演出:野口祥子(ひめしゃら塾 主宰)/松岡大(山海塾 舞踏手)
出演:野口祥子/若栗文則(SORA 代表)

音楽:舟沢虫雄 他 照明:しもだめぐみ
追記/補足を読む

終了:点滅ソロ舞踏「ユメノ道化」 

点滅 ソロ舞踏公演 『ユメノ道化』は、
終了いたしました。
ご来場の皆様、ありがとうございました。
追記/補足を読む

不況と石祠 

近所の路傍に出来ていた、
真新しい石祠 (せきし。いしのほこら)。
先日通りがかったら、破壊されていた。
石の扉が割られ、
中は台座だけだった。

本尊が盗まれたのだろう。
あの分厚い石の扉、
ハンマーでなければ割れないはずだ。
野仏を盗みながら生きる人を思い浮かべる。

人々はいざとなったら、神殿から壊す。
壊して壊して、最後に残るのは、
神殿だけだというのに。

知る準備 

スクリャービンという方のピアノ曲を聴き、
この方の言葉を読んでいると、
この方は確かに、
何かを知ってしまった人だと思う。

それを知るには十分な魂の準備が必要で、
十分な魂の準備が出来た上で知った人は、
大抵の場合、それを生涯、緘黙するらしい。
十分な魂の準備なしに知ってしまった人は、
狂気と幻想の小径を歩むことになることが多いようだ。
どちらにしても、作品はつまらなくなる。

スクリャービンという人は、
「狂気と幻想」の側に振れてしまった人のようで、
周囲からは煙たがられていたのだそうだ。
しかし、珍しいことに、その音楽は素晴らしい。

その狂気が、真理によって引き起こされていることや、
その音楽が、真理によって自我にひびが入ってしまった人の音楽であることが、
聴いていてよくわかるのだ。

そういうことが私にはよくわかる、ということが、
私にとって何を意味するのかは、
よくわからない。