台風、ホステル、櫻井郁也 

日々が忙しく、
ああ、あのことはブログに書こう、
このことはブログに書いておこう、と思っても、
そのブログに書くための、
短いメモの書き付けばかりが増えていく。

年を取ってから、今後どんな新しいチャレンジをしていくか、
というような話題をしばしば聞くので、
自分でもしばしば考えてみたりもするが、
そもそも新しいチャレンジなど、
外からこちらに向かってくるものではないか、
という思いもある。
放っておいても新しい経験は向こうから来るし、
今まで経験してきたことも、
放っておいたら未経験のことに変わっていく。

以下は、そんな感じの話です。

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スマホのメモを見ると、9月30日。ずいぶん前だ。
櫻井郁也のダンス公演「白鳥」を見る数日前から、
この日は東京を台風が直撃するのではないか、
と天気図を見ながら思っていた。
舞踊家・櫻井郁也氏は旧友ということもあってか、
東京での公演は欠かさず見るようにしてきたので、
台風ごときを理由に予約をキャンセルするのもちょっと違う。
かといって、台風が来そうだという理由から、
予約の日にちをずらすのも、ちょっと違うとも思う。
ほかの人も台風を見越してずらして見に行くだろうし、
全席自由とはいえ客席が必要以上に混雑したら、
公演の制作側に迷惑がかかってしまう。
この日、電車が止まったどうしよう。
などと、会場近隣のホテルの予約サイトを見ながら考えていた。
こういう場合ホテルを取るという行動も、最適かどうかは確信できない。
元来の引きこもり性格やら生来の方向音痴もあって、
ほとんど旅行というものに興味を持たず生きてきて、
これじゃいかん、と思い立ち、
一人でホテルを取って、地図アプリを頼りにどこか行ってくる、
などという行動ができるようになった近年ではあるが、それにしたって、
電車で2時間弱のところに行くためにホテルに泊まるのはどうなんだと。
贅沢ではないかと。
じゃあホテルの予約を取らず、電車が動かなかったらタクシーか。
電車で2時間弱のところをタクシーで動いたらいくらになるんだ。
贅沢ではないかと。
そもそもタクシーがつかまるかどうかも、当日わからないじゃないか。
テレビでは不要な外出を控える呼びかけも始まっている。
台風の中、雨合羽で自転車通学していた高校時代の経験は、
もう、判断材料にならないようだ。

さてどうしたものか、とパソコンの前で悶々といていたところに、
櫻井郁也公演を予約した日の夜以降、
電車がまるごと運休となるニュースが届いた。

これは選択の余地はあるまい、もはや考える猶予はあるまい、
とホテルの予約をクリックしたら、
あれ?あれ?とクリックしても、
あっという間にどこもかしこも満室となった。
なるほど、電車が動かなかったらこの日はホテルに泊まろうか、
などと思っているのは私だけ、なわけがない。
日本中に「どうするか」とパソコンの前で考えてる人がいて、
日本中で一斉に「電車運休」のニュースが配信されたのだ。
で、みんな一斉にクリックした。

さてどうするか、と検索していると、
公演会場からほど近い場所に、
「ホステル」なる宿泊施設を見つける。
どんなものかもうまく想像できないが、
もはや選択の余地はない。予約をクリック。

それにしても、都内の電車が動かないようでは、
公演を見に来る人はほとんどいなかろう、
ひょっとすると私ひとりである可能性すらあるな、
などと思いつつ、当日、会場に足を踏み入れたら、
観客が大勢おられる。
いつもの半分弱、といったところか。それでも多い。
電車が動かない状態でこれほどの人が見に来るのか、
と内心驚きながらの本番であった。

本番はいつもより(物理的に)動きの大きいものとなったので、
本番後に櫻井郁也氏に話を聞いてみると、
感謝もあっていつもより多めに動いた、というようなことを仰っていた。
(後日改めて詳しく聞いてみると、台風が来ても、電車が動かなくても見に来るような人だけが見ていたせいか、観客から受けるエネルギーがいつもと違っていた。だからこちらもそのエネルギーを反映したのだ、とでもいった意味合いのことを仰っていた。なるほど。わかりやすい。)

そして公演後、風の吹きすさぶ、
人もまばらな都内の夜道、
地図アプリを頼りに、とぼとぼと「ホステル」へと歩く。

なにせ初めての経験なので、
ひどくまごまごして中に入る。
受付も、私のような旅慣れていない人間に、慣れていない。
ビルの中に、昔の「寝台車」のような2段ベッドが延々と続く。
あなたのベッドはここです。トイレは共同のここ。
1階に降りてくればコーヒーがあります。
外出するときはこう。帰ってくるときはこう。
あと数十分で受付が終わるので、受付はいなくなります。

さて、これからどうする。
見渡す限り、ベッドのカーテンはほぼ閉まっており、
廊下に出る人もほとんどいない。
しかも、空きスペースにびっしり入っているスーツケースからみて、
ここに泊まっているのは殆ど外国人旅行者のようだ。
(なるほど、これがインバウンドというものか)
人がびっしりいるはずのビル内はしんと静まり返り、
50代後半~60代前半とみられる入れ墨の入った日本人ご夫婦が、
廊下に足を出して座りながら、
「こんなとこで眠れるわけねえじゃねぇかー!」
とけたたましく笑っている以外は、
騒いでいる人もいない。
(つまり、耳をそばだてる限り、日本人が一番マナーが悪い。)

さて、この状況下でどうにか明日まで過ごすのだな、
と、カバンに入れておいたカロリーメイトをベッドの上でもしゃもしゃ口にしながら考える。
食べ終わっても、ごみ箱の場所すらわからない。
とりあえず歯を磨かねばな、と思ってトイレの方向に向かうのだが、
これだけでも、けっこう道に迷う。
カーテンの閉まった2段ベッドが立体的に続くだけの間取り。
昔のTVゲームのシンプルなダンジョンみたいだ。
あちこち行き止まりになりながら、
ここを右、ここは左、とどうにか洗面所に行き着く。
が、蛇口が並び、鏡が貼ってある洗面所に、
極めてラフな部屋着を着たうら若い白人女性がおられて、
熱心に爪の手入れ(らしき何か)をしておられる。
ここで歯を磨いていいのか?オレの行動合ってるか?
と不安に駆られるが、見本となる人はいないし、
紳士用トイレにだって蛇口はない。
仕方なく歯を磨き始める。
歯を磨き終わってから気づいたが、コップがない。
紙コップもないこの場所で歯を磨いたオレの行動合ってるか!?
と不安に駆られるが、もう後戻りはできない。
蛇口から手で水をすくって、口をすすぐ。
幸いにして若い女性、ご自分の爪に夢中なのか、
こちらの挙動不審を気にかける気配はまったくない。
戻り際に疲れ果てたご様子の極度に軽装な白人男性が入ってきて、
ああ、少なくともここは男女共用の場所だったのだろう、
ぐらいには思ってベッドに戻る。

カーテンに手をかけると、レールごと外れそうになる。
カーテンレールが“つっぱり棒”なのだ。
カーテンを閉めた状態でも、照明が眩しい。
カーテンの隙間から入ってくる電球色LEDの明かりでも、
目が痛いほど眩しいのだ。
(おそらく、今後LED~ブルーライトの目へのダメージは世界的な問題となるだろう。分母は数十億人。)
夜11時を過ぎたときに、人が歩いてくる気配があって、
LEDの光を弱めて立ち去っていった。
これでどうにか眠れる明るさになる。

が、10月だというのに、台風一過、暑い。
こんなに暑いことありえるのか、とカーテンから首を出して見回すと、
一応エアコンはついているようだ。
だが廊下でもかなり暑い設定温度の上、
寝台車のような個室を並べた構造で、
空気を入れ替える仕組みもなく、扇風機もなく、
ただただ空気が滞って、こもって、ベッドの中が、暑い。
ホステルというもので最も想像していなかったのは、この暑さだった。
私の子供のころにはエアコンなどというものは存在しなかったが、
もう生まれ育ったころ自明のものとして持っていた、
「エアコンなしで眠る」という能力は、
失われていることがわかる。

時々、どすっ、という低音が響く。
周波数で160~250Hzぐらいのごぼごぼした低音。
寝返りの際に、誰かが壁を蹴るのだ。
壁は非常に薄い構造のようで、壁の向こうは空洞らしい。
この響き方では、壁の裏に吸音材は入っていないのかもしれない。
どすっ、また響く。
参ったなこれ、と自分が寝返ると、壁を蹴ってしまって、どすっ、
なるほど、これは足が軽く壁に触れるだけでどすっ、といってしまうのだな、
逆にこんな些細な音がこのぐらい響くのに、
これほどこの部屋が静かだということは、
この部屋にびっしり泊まっておられる外国の人々は、
こちらの想像をはるかに超えて行儀よく、
紳士淑女として泊まっておられるということか。
(先ほど騒いでいた日本人夫婦のいびきが聞こえてくる)
こういう場所でのマナーは何となく自分は適応できると思っていたが、
外国の人々のほうが行儀よく、慣れて行動しておられる。

もともと粗末な住環境で育ったし、
銭湯暮らしも長かったし、
こういう共同的な場所への耐性は高いような気がしていたが、
過去の経験はあまり役に立たないようだ。
自分が、ここでは不慣れな新参者であることが、よくわかる。
それにしても暑い。どすっ。
暫くして誰か二人連れが帰ってきて、英語で何かを話し、
すぐにまた静寂が戻ってきて、どすっ。
2段ベッドの上、手が届きそうな天井を見つめながら、
息を殺してじっとしていると、
いろんなことが頭をよぎる。
自分が棺桶に入っているような気もしてくるし、
これで音環境がもっと悪かったら、
ひょっとして、老人ホームに横たわり続けるというのは、
このような経験なのではないか、という考えもよぎり始める。どすっ。
「いま旅をしている最中だ」とか、「この経験の先に何か希望がある」とか、
そういった、いわば“通過点”という意識がなければ、
この環境には長期間いられない気がしてくる。どすっ。

考えなくてもいいことを考え始めてしまったので、
睡眠導入剤を水なしで飲み込み、無理やり眠った。

翌朝、電車の中から見た朝日の、
なんと美しかったことか。
追記/補足を読む

リハ(というか) 

リハというか、練習というか、構成というか、
生成、あるいは生成準備というか。
具体的な回路は、本番の1ヶ月ぐらい前から黙々と考えます。

本番終了後には、簡単なドリンク付きで、
ポストトーク(っぽい談話)がありますが、
演奏が終わってすぐスッとお帰りになってもOKです。
注意点は「スマホ等音の出るものの電源をお切り下さい」だけ。
全席自由。
初めての方もどうぞ。10/28です。

リハ風景
追記/補足を読む

スマホを切るのが難しい 

折りたたみ式のケータイの頃は、
「マナーモード」というボタンがあって、
それを「長押し」すれば、音は出なくなった。
スマートフォンは違う。
「サイレントモード」にしても、音が出ることが多い。

どういう時にどういう音が出るのか、
条件はかなり複雑だ。
iTunesやYoutubeは、2018現在、iOS12.0で、
スマホをサイレントモードにしても、スピーカーから音が出る。
以前使っていたピアノアプリは、
音楽をイヤホンで聴いている最中に立ち上げると、
音楽がイヤホンから出ている状態であっても、
スピーカーからピアノの音が出た。(今はもうこのアプリを使用していない)
電車の中でイヤホンを付けた状態で、
知らないうちに周囲にピアノの音が出ていたら、
迷惑この上ない。

設定→通知から設定できるものは片っ端から音を消し、
サイレントモードにしていても尚鳴るものというと、
アラームがある。
少し前にスマホをiPnone8に機種変し、設定していた際に、
設定時刻をしくじったようで、
病院の待合室で、カバンの中に入れたスマホから、
大音量のアラームが鳴り出してしまった。
慌てて止めたのだが、
大音量の警告音が聞こえ、それが自分のカバンから出ていると気づき、
スマホを取り出し、アラームだと認識し、鳴り止ませるまでに、
10秒以上かかってしまった。
思い出すだに恥ずかしく、また申し訳ない気持ちになる。

そういうわけで、映画館、演劇の座席など、
絶対に音が出てはいけない状況下では、
スマホをシャットダウンするのが習慣である。
電源ボタンを「長押し」→画面に出るシャットダウンのアイコンをスワイプ。
(たったこれだけだが、ご高齢の方を始め、覚えられない方が多い)

先日、映画館でいつものようにスマホをシャットダウンし、
「ああ、こういう時間についでに充電すればいいのだな」と、
モバイルバッテリーをつないでおく。
映画が終わってスマホを取り出すと、電源が入っている。
何事か、と調べると、この機種、シャットダウン状態でバッテリーをつなぐと、
自動的に電源が入ってしまうことがわかった。
充電しながらシャットダウンしたいのであれば、
バッテリーをつないでからシャットダウンする。
これだけでもけっこう煩雑である。

それでもそういうものかと思って、演劇の座席で、バッテリーをつないでから、
しっかりスマホをシャットダウンする。
スタッフの方が、「いま一度音の出るもののスイッチをお確かめ下さい」と呼びかけ、
再度しっかりとスイッチを押して確かめ、シャットダウンを確認する。
演劇が終わってスマホを取り出すと、電源が入っている。
何事か、と調べると、新しいスマホは、
電源を「長押し」しなくても、電源スイッチをちょっと押すだけで、
起動してしまうことがわかる。
「よし。しっかりシャットダウンした。」と手で押して確認したら、
スマホが起動してしまっていたのだ。
じゃあ触らなければいいのか、というと、
「長押し」じゃなくなってしまったのだから、
カバンの中で何かにぶつかったら、スマホは起動してしまう、ということだ。

以上を総合すると、シャットダウンしても何かのはずみで起動する可能性があり、
その上うっかりアラームを入れていたら鳴り出してしまう、ということになる。
つまり、スマホをシャットダウンしても、音が出ない可能性をゼロにしきれない。

今のところ、映画館や劇場の座席でスマホを鳴らしてしまう失態には
到っていないが、こうなってくると、「絶対の安心」は無理な気がしてくる。
・日頃からサイレントモードにする
・設定画面からサウンドをオフにしていく
・電源さえ入っていればアラームは必ず鳴るので、鳴る時刻を確かめておく
・シャットダウンしたら、あとは触らず、バッテリーにも繋がない
・シャットダウンしたスマホのスイッチが入らないように気を配りつつ収納
これだけやって99.9%。あとは運を天に任せる。

起動を「長押し」に戻してくれと言っても、多分どこにも届かない。
サイレントモードをマナーモードぐらいにまで徹底してくれと言っても、多分どこにも届かない。
電車の中や映画館など、ある程度インフラを整えることが出来そうな場所では、
社内、場内で「緊急地震速報以外のスピーカーからの音を止める信号」を出し、
スマホ側がそれを認識する近距離通信規格を作ればいいんだ、って言ったって、
そんなん絶対どこにも届かない(と思う)。

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安心して何かを聴く空間は、自分で探すか、作り出すしかない。

大音量のコンサートなどでは、もう空間形成をあきらめ、
スマホ撮影をアリにしている場所も増えてきた。
偉大なミュージシャンの方がクラブなどで、
自ら率先してスマホを掲げて撮影・録音を促すところも、
何度か拝見している。

舟沢のライブは小音量。
電源の入ったスマホとの共存は、今のところ考えておりません。
映画館や劇場同様、「音の出るものの電源はお切り下さい」とアナウンスさせていただいております。
昨今は、若い方でもスマホを切ることを「デトックス」と呼んでいたりするので、
スマホを切って耳を澄ませることの価値は、
今後も消えてなくない、と信じることにしております。

そういうわけで、「スマホを切って一旦落ち着きに来ませんか」と、
こうしてインターネットに書いててどうするんだ、という思いも去来するのですが、
10/28のライブ、よろしくお願いします。
追記/補足を読む

チラシ、手すり文章、回路、当日、+バッジ 



チラシと呼ぶのか、フライヤーと呼ぶのか、DMと呼ぶのか。
ライブの告知用に、ハガキサイズの紙を作る。
呼称を考えるのが面倒なので、ここでは「チラシ」とする。

チラシのイメージを考えるのは、
いま発生したばかりの台風の進路を予想するのに、
少し似ている。
いま「次のライブはこんな感じになるだろう」とイメージしても、
そのライブは数ヶ月後である。

出来上がったイメージを目の前に紙で置いて、
ぼちぼちとリハを始めるのだが、
くっきり・かっちりとイメージを固め込んでおくのもライブっぽくない。
だが、イメージを電子回路に組んでおかないと、
こういうものはそもそも音すら出ないので、
当日目がけて回路を組んでいく。

そして、毎回、1週間~数日前には、
今回どのようなことをやるのかを「手すりのような言葉」として書いて、
これも紙にプリントアウトしておく。
当日配るためだ。
(初期には言葉はなかったが、舟沢の坐禅の師匠に書いてみてはどうかと勧められたのは、以前書いた。)


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ここで、数ヶ月前に定着した視覚イメージと、
数日前に定着した言語イメージが出来上がる。
それでも、当日、何が出るのかは、
やってみないとわからない。
聴いてくださっているお客さんの気配でも変わるし、
当日のスピーカーの共鳴周波数でも変わる。

思ってもみない音が出ることだってある。

数日前に出来上がった言語イメージは、
「数日前の台風の進路予想」に、少し似ている。

イメージは数ヶ月前に出現する。
言語は数日前に出現する。
それでも当日は、何がどうなるかわからない。
当日の音との“ずれ”は、完全にはなくならない。

当日の音は、来ていただいて、じっと聴いてくださる方々と共に、
その場で作っているようなものだ。
ライブだし。

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視覚イメージを作り、回路を構成し、言語イメージを作るわけだが、
今回、チラシ用に作った「円相」が、ことのほかよくできた。
(円相は自作し、優秀なデザイナーさんにお渡ししてチラシを作って頂いた)

あらかじめ作るものが増えれば増えるほど、
当日出る音とイメージがずれるリスクが増えるわけだが、
寝入りばなに突然、非常にはっきりとした「バッジイメージ」が沸いたので、
大慌てでデータを作り、インターネットを通じて、作ってしまった。

元型ドローンVol.16 円相バッジ


突発的・かつ明瞭に完成形が思い浮かんだときは、
作るべきかどうか悩むより作った方が良い、と判断した。
「これではちょっと色が濃いか?いや、数年経ったらちょうど良くなるはずだ」、
という、咄嗟の逆算通りの仕上がりである。
(ここでも私は、予想して逆算している。それでも当日、何が起こるかは、わからない。)

売るか。(売るにしては少なく作ったので原価が高い‥)
当日お配りするか。(その場合は開封の音がライブの妨げとなるため、こちらで袋を開け、むき出しの状態でお渡しすることになるでしょう‥)

‥今から考えます。
追記/補足を読む

祖父の声、のような 

今朝方、30年以上前に他界した祖父に、
「一日一日を大切に生きるんだ」
と“言われたような実感”を持って目が覚めた。
実際に睡眠中の私に祖父が話しかけてきたのか、
あるいは、祖父が生前口にしていた、
「人間は70を過ぎたら一日一日を大切に生きる」という言葉が、
無意識下から昇ってきたのか、はっきりとしない。

両方なのかも知れない。

なぜその言葉が今になってありありと“聞こえて”きたのかも、
はっきりとしない。

祖父なり、無意識なりが、昨今の私のささくれ立った精神生活に声をかけたのか、
あるいは私の寿命が近いのか。
それも、はっきりとしない。

健康診断には行ってるんだがなぁ。

気に病んでもしょうがないので、とりあえず、
「これが空の見納め」という気持ちで空を見上げたり、
「これが太陽の浴び納め」という気持ちで炎天下を歩いたりしてみる。

おじいちゃん。
こんなんでいいですか。