老化、刷新、肉離れ 

前回のライブの1週間ほど前だったろうか、
作業していたノートパソコンが壊れた。
予兆らしき予兆もなく、「ハードディスクが不良です」とエラーが出たっきり、
まるっきり動かなくなった。

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ノートPCを買い替えた時に“購入ポイント”も入ってきたし、
ちょうど仕事の切れ目だし、と、
音楽用のタワーPCも買い替えることにした。

昨年末、タワーPCを梱包していて気づいたのは、
自分の身体の衰えであった。
数年前から筋トレなるものをやってはいるが、
筋肉ではカバーしきれない、
重いものを持つことが難しくなっていく“実感”。
1か月に数回のペースでぎっくり腰をやっていた時期とも全く違う、
言葉で正確に言い表すことのできない、いわく言い難い“実感”。
多少は筋力の問題なのだろうけれど、
筋肉よりももっと本質的なところで、
何かが始まっているように感じる。

この先、重いものを持つことが、
どんどん難しくなっていくらしい。

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そういうわけで、年末年始、
自宅にある、かなりの機材を、処分した。
あるものはネットオークションで売却し、
あるものは楽器屋さんに下取りに出した。

一番重い機材は、ハードケースに入れて30キロ弱だろうか。
昔はこの機材を、気合と根性で階段から上げ下ろししていたのだが、
この先はもう無理だろうし、
この機材を実戦で最後に使用した時を思い起こすと、
たぶん2012の楽曲であったろうと思う。
今は2019。かなり長い間、使っていない。
これでしか出せない音がある、
自分ですら二度と作れない音がメモリーしてある、
と思って維持してきたが、
なければないなりに、音楽は作れそうだ。
体力が残っている今こそが、
整理どき、刷新どきなのだ。

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腰痛コルセットを巻いて、
注意深くハードケースに入れ、
注意深く、時間をかけて、玄関まで持っていく。

下取りに出ていく機材たち↓

(中には30年ぐらい使い続けたものもある)

――これでいい。
あとは、楽器屋さんが手配してくれた、
運送業者さんが来るのを待つだけだ。

運送屋さんから電話が来る。
(聞いたこともない業者さんだ)
あなたの家の場所がわからない、という。
現在地を訊けば、自分の家から50mほどのところまで来ている。
そこを引き返して直進です、と言っても、要領を得ない。
電話の向こうが、ひどく、たとたどしい。

玄関の前で穴から覗いていると、
人影がやってきて、きょろきょろと、
たどたどしく、部屋を探している。
たまらず、向こうがドアベルを鳴らす前に、こちらからドアを開ける。

ぱっと見、70代らしき男性である。
笑顔で、荷物を取りに来たと言われる。
これです。重いですよ、と言うと、持ち上げるなり、
「ああ、こんなに重いもの、生まれて初めて持った」
と笑顔で言いながら、階段を下りていく。
階段の向こうから、ガシャン!ガシャン!と、
けたたましい音が聞こえてくる。
重すぎて、階段のあちこちに、ぶつけているらしい。
慌てて自分も下りていき、
機材の片側を持つ。
「いやぁ、助かります。それにしてもこんなに重いものがあるなんて」
と、業者の男性、笑っておられる。

どうにか車に積み込んで、伝票にハンコを押します、というと、
「ああ、伝票。あった方が安心ですよねぇ。」
と、ひどくたどたどしく、時間をかけて、伝票を書き始める。

じゃあどうも、と、70代らしき男性、笑顔で去っていった。

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運送業の前はどのような仕事をしておられたのだろう。
日に焼けていて、屈託なく、
30Kgのものを「生まれて初めて持つ」。
造園業だろうか。なんだろう。

もちろん、その人に対しても、
手配をした楽器屋さんに対しても、怒ったりはしない。
歳をとって、たどたどしく、
「こんなことは生まれて初めてだ」
と驚きながら生きていく老人というのは、
どう考えたって、
近未来の自分じゃないか。

小津安二郎の映画に出てくる、笠智衆が演じる、
「お父さんの人生はもう終わりに近づいているんだよ」
という老人の年齢と、今の私は似たり寄ったりだし、
ヴィスコンティの映画「山猫」に出てくる、
「山猫は山猫のままだ」
と威厳をもって年老いていく主役の設定年齢は、
40代なのだそうだ。私より年下じゃないか。
なのに、人生も、生活も、終わらない。
次から次へと、やらねばならないことは増えていく。
若くあらねば、社会生活が営めないのだ。

こんなにも長く、延々と、
若くあらねばならない時代、
そうでなければ生きることも死ぬこともできない時代というのは、
人類史上、前例がないのだ。

これが21世紀初頭、
これが超高齢社会なのだ。

「もう重いものを持てなくなるぞ」と、
重いものを手放す自分も、
それを「こんな重いものを初めて持った」と運んでいく年上の男性も、
超高齢社会の一員なのだ。

真新しいノートPCをブルーライトカットモードにして、
その上ブルーライトカット老眼鏡をかけ、
ドライアイ用の目薬を差しながら、
こうしてブログを書いている。
これもまた、21世紀の姿なわけだ。

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人間がある程度成長しきった後に、
思いがけず訪れるものについて考える際に、
近年、頻繁に、というか一日に何度も、
タルコフスキーの映画「サクリファイス(1986)」を思い出してしまう。

(今、「86年だったよな」と念のため検索したら、
自分がタルコフスキーの没年齢と同い年であることに気づいた‥)

いろいろな人が、いろいろに解釈するあの映画だが、
私がいま考えているのは、
鈴木大拙著「日本的霊性」でいう「霊性」にちょっと近い、
思考不能な領域というか、
思考も感情も意志も通用しない、
むしろ思考や感情や意志・衝動が、
そこからやってくる、とでもいうような、
広大無辺な領域について。

「サクリファイス」の中盤、
郵便配達人の男が、ストーリーの中で突然、
大げさなまでに激しく、卒倒する。
やがて、自分の身体(?)を見下ろし(?)ながら、
「これはいったいどうしたことだ」
と、笑顔で、ゆっくりと、起き上がる。

あのとき、何が起こったのか。
霊性が流入したともとれるし、
急病だ、ともとれる。

ラストシーンの主人公の室内における身体の動きも、
霊性が入ってあの歩き方になったのだ、とも見えるし、
脳梗塞の動きだ、ともとれる。
ダブルミーニングなのか、一如なのか。

老化とポストモダン、
上昇停止体験とその先にある“何か”、
獲得と同時に生じる喪失、
何かが顕現するときに生じるある種の“抜け”、
行為と不行為の同時性、
そういったものについて、
近年、ことあるごとに、考え続けている。
元型ドローン」と名付けたライブシリーズだって、
その問いかけであると同時に、その答えでもあるようなことを、
やらせていただいている。
(来てくださる皆様、協賛のストライプハウスギャラリー様、ありがとうございます。)

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重い機材を手放して三日後のことだが、
それにしてもこの“感じ”を、
音にするのみならず、
どうにか思考なり言語なりで、
取り扱うことはできないかなぁ、
“これ”をどうにか観察したり、
コントロールしたりできないものかなぁ、
などと考えていた。
食事が終わり、席を立とうとしたとき、
突然、足に激痛が走り、
そのままその場に倒れこんでしまった。

気を失いはしなかったし、
笑顔にもならなかったが、
倒れ方としてはまさに、
「サクリファイス」の郵便配達人のような倒れ方だった。

病院に行くと、
「エコーには映らないけど、この症状は肉離れだろう」
ということで、治療が始まった。

いま、30cmぐらいの歩幅でしか、歩けない。
常に周囲に気を配り、
誰かの邪魔になっていないか、
あの信号は渡れるか、
この食べ物を持って、階段を昇れるだろうかなどと、
たどたどしく歩きながら、頭は、フル回転だ。
ちょっとでもバランスを崩すと、
足に激痛が走って、全身の力が抜けてしまう。

そのようにたどたどしく歩きながら見回すと、
今まで目に入らなかったけれど、
そういう人の、なんと多いことか。

普段なら「酔っ払いかな」と思いながら、
足早に通り過ぎるような光景でも、
ゆっくり歩いて聞いていると、
警察官が「体に力が入らないんでしょ?救急車に来てもらおう?」
と、転んでいる男性に、親身に話しかけ続けている。

普段使わない駅のエレベーターを使うと、
非常に多くが、足元のおぼつかない高齢の方々である。
特に足元のおぼつかない高齢の方から、
強い尿のにおいがしてくる。
私は、いつか読んだ、高齢者の嗅覚障害に関するブログや、
介護職の人が高齢者とハグするとき、
実は尿失禁をにおいで確認しているのだ、
というドキュメンタリー番組を思い出す。

なるほど。
これが新時代か。
こんなことは初めてだ。

こうして、未体験な世界に、
たどたどしく、入り込んでゆく。

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それにしても、
「サクリファイス」の郵便配達人も、
機材を持って行った運送業の男性もそうだが、
“これ”を体験しながら、
笑顔でいる人々が、かなりおられる。

以前から考えていたことだが、
能面「翁」の笑顔と、老化との関係。

アルツハイマーの症状に、
「多幸感」という項目を見つけたとき、
これはひょっとして、と思ったものだが、
アルツハイマーにおける多幸感(多幸症)と、
霊性との関係はどうなっているのだろう。
全く別のものなのか、実は一如なのか。
(或いは、いわゆる「防衛機制」、「躁的防衛」との関係は。)

若い頃さんざん考えた、
シャマニズムにおける主観・客観とも、
これはたぶん、つながっている。

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わかりやすい文体で有名な臨床心理学者、河合隼雄氏だが、
老いに関する記述となると、
「老いの道は老いの未知」
などと駄洒落まじりで、
読んでいて、なんだか要領を得ない感じがしたものだ。
あれは、自分の身に起きていないことを読んだので、
いま読み返せば、また違って読めるのかもしれない。

天才的な舞踏家、大野一雄氏が、
ご自身のお母さまの最後の言葉だという、
「私のからだの中をカレイが泳いでいる」
という言葉をイメージの題材によく使っておられたが、
考えてみれば、大野一雄氏のお母さまは、
ご自身の身に起きていることを、
「実況」なさっていたのかもしれない。

体験してみなければ、わからない。
だが、参考にはなる。

いずれにせよ、大半がこれから体験することなわけだから、
「こんなことは初めてだ」
と驚きながら、
たどたどしく、やっていくしかないのかもしれない。
考えてもしょうがないことばかりだが、
考える以外にしょうがない、とも言える。

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肉離れは2~3週間は痛みが続くので、
そのあとリハビリに入りましょう、
と言われている。

4月のライブには間に合うだろう。
まあ、間に合わなそうになったら、
機材の運搬方法を考え直せばいい。

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さらっと書くつもりが、
そこそこ長い文章になった。
もうちょっと小分けにして、
日々書いた方がいいのかもしれないが、
なかなか時間も取れないし、
自分の身に起きていること、
自分が考えていることが、
規模的に大きくなっているように思うし、
それをまとめる気力も衰えてきているようにも思える。

というわけで、
ここまでお読みいただき、
ありがとうございました。
(もうちょっと威勢のいいことを書いた方が集客にはいいんでしょうけどねぇ)

あ、ライブよろしくおねがいします。次回は4/14です

台風、ホステル、櫻井郁也 

日々が忙しく、
ああ、あのことはブログに書こう、
このことはブログに書いておこう、と思っても、
そのブログに書くための、
短いメモの書き付けばかりが増えていく。

年を取ってから、今後どんな新しいチャレンジをしていくか、
というような話題をしばしば聞くので、
自分でもしばしば考えてみたりもするが、
そもそも新しいチャレンジなど、
外からこちらに向かってくるものではないか、
という思いもある。
放っておいても新しい経験は向こうから来るし、
今まで経験してきたことも、
放っておいたら未経験のことに変わっていく。

以下は、そんな感じの話です。

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スマホのメモを見ると、9月30日。ずいぶん前だ。
櫻井郁也のダンス公演「白鳥」を見る数日前から、
この日は東京を台風が直撃するのではないか、
と天気図を見ながら思っていた。
舞踊家・櫻井郁也氏は旧友ということもあってか、
東京での公演は欠かさず見るようにしてきたので、
台風ごときを理由に予約をキャンセルするのもちょっと違う。
かといって、台風が来そうだという理由から、
予約の日にちをずらすのも、ちょっと違うとも思う。
ほかの人も台風を見越してずらして見に行くだろうし、
全席自由とはいえ客席が必要以上に混雑したら、
公演の制作側に迷惑がかかってしまう。
この日、電車が止まったどうしよう。
などと、会場近隣のホテルの予約サイトを見ながら考えていた。
こういう場合ホテルを取るという行動も、最適かどうかは確信できない。
元来の引きこもり性格やら生来の方向音痴もあって、
ほとんど旅行というものに興味を持たず生きてきて、
これじゃいかん、と思い立ち、
一人でホテルを取って、地図アプリを頼りにどこか行ってくる、
などという行動ができるようになった近年ではあるが、それにしたって、
電車で2時間弱のところに行くためにホテルに泊まるのはどうなんだと。
贅沢ではないかと。
じゃあホテルの予約を取らず、電車が動かなかったらタクシーか。
電車で2時間弱のところをタクシーで動いたらいくらになるんだ。
贅沢ではないかと。
そもそもタクシーがつかまるかどうかも、当日わからないじゃないか。
テレビでは不要な外出を控える呼びかけも始まっている。
台風の中、雨合羽で自転車通学していた高校時代の経験は、
もう、判断材料にならないようだ。

さてどうしたものか、とパソコンの前で悶々といていたところに、
櫻井郁也公演を予約した日の夜以降、
電車がまるごと運休となるニュースが届いた。

これは選択の余地はあるまい、もはや考える猶予はあるまい、
とホテルの予約をクリックしたら、
あれ?あれ?とクリックしても、
あっという間にどこもかしこも満室となった。
なるほど、電車が動かなかったらこの日はホテルに泊まろうか、
などと思っているのは私だけ、なわけがない。
日本中に「どうするか」とパソコンの前で考えてる人がいて、
日本中で一斉に「電車運休」のニュースが配信されたのだ。
で、みんな一斉にクリックした。

さてどうするか、と検索していると、
公演会場からほど近い場所に、
「ホステル」なる宿泊施設を見つける。
どんなものかもうまく想像できないが、
もはや選択の余地はない。予約をクリック。

それにしても、都内の電車が動かないようでは、
公演を見に来る人はほとんどいなかろう、
ひょっとすると私ひとりである可能性すらあるな、
などと思いつつ、当日、会場に足を踏み入れたら、
観客が大勢おられる。
いつもの半分弱、といったところか。それでも多い。
電車が動かない状態でこれほどの人が見に来るのか、
と内心驚きながらの本番であった。

本番はいつもより(物理的に)動きの大きいものとなったので、
本番後に櫻井郁也氏に話を聞いてみると、
感謝もあっていつもより多めに動いた、というようなことを仰っていた。
(後日改めて詳しく聞いてみると、台風が来ても、電車が動かなくても見に来るような人だけが見ていたせいか、観客から受けるエネルギーがいつもと違っていた。だからこちらもそのエネルギーを反映したのだ、とでもいった意味合いのことを仰っていた。なるほど。わかりやすい。)

そして公演後、風の吹きすさぶ、
人もまばらな都内の夜道、
地図アプリを頼りに、とぼとぼと「ホステル」へと歩く。

なにせ初めての経験なので、
ひどくまごまごして中に入る。
受付も、私のような旅慣れていない人間に、慣れていない。
ビルの中に、昔の「寝台車」のような2段ベッドが延々と続く。
あなたのベッドはここです。トイレは共同のここ。
1階に降りてくればコーヒーがあります。
外出するときはこう。帰ってくるときはこう。
あと数十分で受付が終わるので、受付はいなくなります。

さて、これからどうする。
見渡す限り、ベッドのカーテンはほぼ閉まっており、
廊下に出る人もほとんどいない。
しかも、空きスペースにびっしり入っているスーツケースからみて、
ここに泊まっているのは殆ど外国人旅行者のようだ。
(なるほど、これがインバウンドというものか)
人がびっしりいるはずのビル内はしんと静まり返り、
50代後半~60代前半とみられる入れ墨の入った日本人ご夫婦が、
廊下に足を出して座りながら、
「こんなとこで眠れるわけねえじゃねぇかー!」
とけたたましく笑っている以外は、
騒いでいる人もいない。
(つまり、耳をそばだてる限り、日本人が一番マナーが悪い。)

さて、この状況下でどうにか明日まで過ごすのだな、
と、カバンに入れておいたカロリーメイトをベッドの上でもしゃもしゃ口にしながら考える。
食べ終わっても、ごみ箱の場所すらわからない。
とりあえず歯を磨かねばな、と思ってトイレの方向に向かうのだが、
これだけでも、けっこう道に迷う。
カーテンの閉まった2段ベッドが立体的に続くだけの間取り。
昔のTVゲームのシンプルなダンジョンみたいだ。
あちこち行き止まりになりながら、
ここを右、ここは左、とどうにか洗面所に行き着く。
が、蛇口が並び、鏡が貼ってある洗面所に、
極めてラフな部屋着を着たうら若い白人女性がおられて、
熱心に爪の手入れ(らしき何か)をしておられる。
ここで歯を磨いていいのか?オレの行動合ってるか?
と不安に駆られるが、見本となる人はいないし、
紳士用トイレにだって蛇口はない。
仕方なく歯を磨き始める。
歯を磨き終わってから気づいたが、コップがない。
紙コップもないこの場所で歯を磨いたオレの行動合ってるか!?
と不安に駆られるが、もう後戻りはできない。
蛇口から手で水をすくって、口をすすぐ。
幸いにして若い女性、ご自分の爪に夢中なのか、
こちらの挙動不審を気にかける気配はまったくない。
戻り際に疲れ果てたご様子の極度に軽装な白人男性が入ってきて、
ああ、少なくともここは男女共用の場所だったのだろう、
ぐらいには思ってベッドに戻る。

カーテンに手をかけると、レールごと外れそうになる。
カーテンレールが“つっぱり棒”なのだ。
カーテンを閉めた状態でも、照明が眩しい。
カーテンの隙間から入ってくる電球色LEDの明かりでも、
目が痛いほど眩しいのだ。
(おそらく、今後LED~ブルーライトの目へのダメージは世界的な問題となるだろう。分母は数十億人。)
夜11時を過ぎたときに、人が歩いてくる気配があって、
LEDの光を弱めて立ち去っていった。
これでどうにか眠れる明るさになる。

が、10月だというのに、台風一過、暑い。
こんなに暑いことありえるのか、とカーテンから首を出して見回すと、
一応エアコンはついているようだ。
だが廊下でもかなり暑い設定温度の上、
寝台車のような個室を並べた構造で、
空気を入れ替える仕組みもなく、扇風機もなく、
ただただ空気が滞って、こもって、ベッドの中が、暑い。
ホステルというもので最も想像していなかったのは、この暑さだった。
私の子供のころにはエアコンなどというものは存在しなかったが、
もう生まれ育ったころ自明のものとして持っていた、
「エアコンなしで眠る」という能力は、
失われていることがわかる。

時々、どすっ、という低音が響く。
周波数で160~250Hzぐらいのごぼごぼした低音。
寝返りの際に、誰かが壁を蹴るのだ。
壁は非常に薄い構造のようで、壁の向こうは空洞らしい。
この響き方では、壁の裏に吸音材は入っていないのかもしれない。
どすっ、また響く。
参ったなこれ、と自分が寝返ると、壁を蹴ってしまって、どすっ、
なるほど、これは足が軽く壁に触れるだけでどすっ、といってしまうのだな、
逆にこんな些細な音がこのぐらい響くのに、
これほどこの部屋が静かだということは、
この部屋にびっしり泊まっておられる外国の人々は、
こちらの想像をはるかに超えて行儀よく、
紳士淑女として泊まっておられるということか。
(先ほど騒いでいた日本人夫婦のいびきが聞こえてくる)
こういう場所でのマナーは何となく自分は適応できると思っていたが、
外国の人々のほうが行儀よく、慣れて行動しておられる。

もともと粗末な住環境で育ったし、
銭湯暮らしも長かったし、
こういう共同的な場所への耐性は高いような気がしていたが、
過去の経験はあまり役に立たないようだ。
自分が、ここでは不慣れな新参者であることが、よくわかる。
それにしても暑い。どすっ。
暫くして誰か二人連れが帰ってきて、英語で何かを話し、
すぐにまた静寂が戻ってきて、どすっ。
2段ベッドの上、手が届きそうな天井を見つめながら、
息を殺してじっとしていると、
いろんなことが頭をよぎる。
自分が棺桶に入っているような気もしてくるし、
これで音環境がもっと悪かったら、
ひょっとして、老人ホームに横たわり続けるというのは、
このような経験なのではないか、という考えもよぎり始める。どすっ。
「いま旅をしている最中だ」とか、「この経験の先に何か希望がある」とか、
そういった、いわば“通過点”という意識がなければ、
この環境には長期間いられない気がしてくる。どすっ。

考えなくてもいいことを考え始めてしまったので、
睡眠導入剤を水なしで飲み込み、無理やり眠った。

翌朝、電車の中から見た朝日の、
なんと美しかったことか。
追記/補足を読む

リハ(というか) 

リハというか、練習というか、構成というか、
生成、あるいは生成準備というか。
具体的な回路は、本番の1ヶ月ぐらい前から黙々と考えます。

本番終了後には、簡単なドリンク付きで、
ポストトーク(っぽい談話)がありますが、
演奏が終わってすぐスッとお帰りになってもOKです。
注意点は「スマホ等音の出るものの電源をお切り下さい」だけ。
全席自由。
初めての方もどうぞ。10/28です。

リハ風景
追記/補足を読む

スマホを切るのが難しい 

折りたたみ式のケータイの頃は、
「マナーモード」というボタンがあって、
それを「長押し」すれば、音は出なくなった。
スマートフォンは違う。
「サイレントモード」にしても、音が出ることが多い。

どういう時にどういう音が出るのか、
条件はかなり複雑だ。
iTunesやYoutubeは、2018現在、iOS12.0で、
スマホをサイレントモードにしても、スピーカーから音が出る。
以前使っていたピアノアプリは、
音楽をイヤホンで聴いている最中に立ち上げると、
音楽がイヤホンから出ている状態であっても、
スピーカーからピアノの音が出た。(今はもうこのアプリを使用していない)
電車の中でイヤホンを付けた状態で、
知らないうちに周囲にピアノの音が出ていたら、
迷惑この上ない。

設定→通知から設定できるものは片っ端から音を消し、
サイレントモードにしていても尚鳴るものというと、
アラームがある。
少し前にスマホをiPnone8に機種変し、設定していた際に、
設定時刻をしくじったようで、
病院の待合室で、カバンの中に入れたスマホから、
大音量のアラームが鳴り出してしまった。
慌てて止めたのだが、
大音量の警告音が聞こえ、それが自分のカバンから出ていると気づき、
スマホを取り出し、アラームだと認識し、鳴り止ませるまでに、
10秒以上かかってしまった。
思い出すだに恥ずかしく、また申し訳ない気持ちになる。

そういうわけで、映画館、演劇の座席など、
絶対に音が出てはいけない状況下では、
スマホをシャットダウンするのが習慣である。
電源ボタンを「長押し」→画面に出るシャットダウンのアイコンをスワイプ。
(たったこれだけだが、ご高齢の方を始め、覚えられない方が多い)

先日、映画館でいつものようにスマホをシャットダウンし、
「ああ、こういう時間についでに充電すればいいのだな」と、
モバイルバッテリーをつないでおく。
映画が終わってスマホを取り出すと、電源が入っている。
何事か、と調べると、この機種、シャットダウン状態でバッテリーをつなぐと、
自動的に電源が入ってしまうことがわかった。
充電しながらシャットダウンしたいのであれば、
バッテリーをつないでからシャットダウンする。
これだけでもけっこう煩雑である。

それでもそういうものかと思って、演劇の座席で、バッテリーをつないでから、
しっかりスマホをシャットダウンする。
スタッフの方が、「いま一度音の出るもののスイッチをお確かめ下さい」と呼びかけ、
再度しっかりとスイッチを押して確かめ、シャットダウンを確認する。
演劇が終わってスマホを取り出すと、電源が入っている。
何事か、と調べると、新しいスマホは、
電源を「長押し」しなくても、電源スイッチをちょっと押すだけで、
起動してしまうことがわかる。
「よし。しっかりシャットダウンした。」と手で押して確認したら、
スマホが起動してしまっていたのだ。
じゃあ触らなければいいのか、というと、
「長押し」じゃなくなってしまったのだから、
カバンの中で何かにぶつかったら、スマホは起動してしまう、ということだ。

以上を総合すると、シャットダウンしても何かのはずみで起動する可能性があり、
その上うっかりアラームを入れていたら鳴り出してしまう、ということになる。
つまり、スマホをシャットダウンしても、音が出ない可能性をゼロにしきれない。

今のところ、映画館や劇場の座席でスマホを鳴らしてしまう失態には
到っていないが、こうなってくると、「絶対の安心」は無理な気がしてくる。
・日頃からサイレントモードにする
・設定画面からサウンドをオフにしていく
・電源さえ入っていればアラームは必ず鳴るので、鳴る時刻を確かめておく
・シャットダウンしたら、あとは触らず、バッテリーにも繋がない
・シャットダウンしたスマホのスイッチが入らないように気を配りつつ収納
これだけやって99.9%。あとは運を天に任せる。

起動を「長押し」に戻してくれと言っても、多分どこにも届かない。
サイレントモードをマナーモードぐらいにまで徹底してくれと言っても、多分どこにも届かない。
電車の中や映画館など、ある程度インフラを整えることが出来そうな場所では、
社内、場内で「緊急地震速報以外のスピーカーからの音を止める信号」を出し、
スマホ側がそれを認識する近距離通信規格を作ればいいんだ、って言ったって、
そんなん絶対どこにも届かない(と思う)。

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安心して何かを聴く空間は、自分で探すか、作り出すしかない。

大音量のコンサートなどでは、もう空間形成をあきらめ、
スマホ撮影をアリにしている場所も増えてきた。
偉大なミュージシャンの方がクラブなどで、
自ら率先してスマホを掲げて撮影・録音を促すところも、
何度か拝見している。

舟沢のライブは小音量。
電源の入ったスマホとの共存は、今のところ考えておりません。
映画館や劇場同様、「音の出るものの電源はお切り下さい」とアナウンスさせていただいております。
昨今は、若い方でもスマホを切ることを「デトックス」と呼んでいたりするので、
スマホを切って耳を澄ませることの価値は、
今後も消えてなくない、と信じることにしております。

そういうわけで、「スマホを切って一旦落ち着きに来ませんか」と、
こうしてインターネットに書いててどうするんだ、という思いも去来するのですが、
10/28のライブ、よろしくお願いします。
追記/補足を読む

チラシ、手すり文章、回路、当日、+バッジ 



チラシと呼ぶのか、フライヤーと呼ぶのか、DMと呼ぶのか。
ライブの告知用に、ハガキサイズの紙を作る。
呼称を考えるのが面倒なので、ここでは「チラシ」とする。

チラシのイメージを考えるのは、
いま発生したばかりの台風の進路を予想するのに、
少し似ている。
いま「次のライブはこんな感じになるだろう」とイメージしても、
そのライブは数ヶ月後である。

出来上がったイメージを目の前に紙で置いて、
ぼちぼちとリハを始めるのだが、
くっきり・かっちりとイメージを固め込んでおくのもライブっぽくない。
だが、イメージを電子回路に組んでおかないと、
こういうものはそもそも音すら出ないので、
当日目がけて回路を組んでいく。

そして、毎回、1週間~数日前には、
今回どのようなことをやるのかを「手すりのような言葉」として書いて、
これも紙にプリントアウトしておく。
当日配るためだ。
(初期には言葉はなかったが、舟沢の坐禅の師匠に書いてみてはどうかと勧められたのは、以前書いた。)


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ここで、数ヶ月前に定着した視覚イメージと、
数日前に定着した言語イメージが出来上がる。
それでも、当日、何が出るのかは、
やってみないとわからない。
聴いてくださっているお客さんの気配でも変わるし、
当日のスピーカーの共鳴周波数でも変わる。

思ってもみない音が出ることだってある。

数日前に出来上がった言語イメージは、
「数日前の台風の進路予想」に、少し似ている。

イメージは数ヶ月前に出現する。
言語は数日前に出現する。
それでも当日は、何がどうなるかわからない。
当日の音との“ずれ”は、完全にはなくならない。

当日の音は、来ていただいて、じっと聴いてくださる方々と共に、
その場で作っているようなものだ。
ライブだし。

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視覚イメージを作り、回路を構成し、言語イメージを作るわけだが、
今回、チラシ用に作った「円相」が、ことのほかよくできた。
(円相は自作し、優秀なデザイナーさんにお渡ししてチラシを作って頂いた)

あらかじめ作るものが増えれば増えるほど、
当日出る音とイメージがずれるリスクが増えるわけだが、
寝入りばなに突然、非常にはっきりとした「バッジイメージ」が沸いたので、
大慌てでデータを作り、インターネットを通じて、作ってしまった。

元型ドローンVol.16 円相バッジ


突発的・かつ明瞭に完成形が思い浮かんだときは、
作るべきかどうか悩むより作った方が良い、と判断した。
「これではちょっと色が濃いか?いや、数年経ったらちょうど良くなるはずだ」、
という、咄嗟の逆算通りの仕上がりである。
(ここでも私は、予想して逆算している。それでも当日、何が起こるかは、わからない。)

売るか。(売るにしては少なく作ったので原価が高い‥)
当日お配りするか。(その場合は開封の音がライブの妨げとなるため、こちらで袋を開け、むき出しの状態でお渡しすることになるでしょう‥)

‥今から考えます。
追記/補足を読む