憤怒相 

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道端にある
聖なる 怒りに
 救われている

夕闇の屹立 



多様な枝分かれに任せ 自然なままに 倒れるか
枝を切り捨て 幹を生かし続けるか
どちらを 選ぶのか は
自分が 幹か 枝かによって 変わる
元々 一体であることが わかってさえ いれば
痛みは どちらも 変わらない

はずなのだが

人口減少 



ジョルジョ・デ・キリコの描く街や、
C・D・フリードリッヒの描く廃墟と、
今自分が歩いている、人気のない住宅街を比べてみる。
そこにはキリコとも、フリードリッヒとも、
まるで違う虚無、全く違う廃墟が見えてくる。
既視感も、未視感もなく、郷愁も感じない気配。
これはまだ、芸術家によってうまく名付けられていない何かだ、と感じる。

社会科学の人々は、それを当たり前のように「人口減少」と呼ぶ。

私にできることは少ない。

擦過傷 

コンクリートの壁に擦過傷のようなものが続く。
よく見ればそれは、掃除をしようとした跡だと判る。



放っておくことはできなかった。
やり遂げることもできなかった。
やらない方が良かった、とは言えない。
ただただ、ありのままではいられなかったのだ。

そうして擦過傷が残る。

秋の椋鳥 


来たるべき 夜を 冬を 見つめています