骨、殻、或いは灰 



このような時代の 巨大な河口に いる らしい
追記/補足を読む

新しい冬、新しい孤独 

枝を切られ、寒さで葉が落ち、歪んだ樹木が、
なぜ“救い”のような感情を引き起こすのか、
と考えるに、

似たような境遇にあって感情を持たずにいる樹木を、
似たような境遇にある人間が見上げているから、
なのだろう。



(――見知らぬ別れに寄せて)

浸食 



久しぶりに太平洋岸に来てみれば、
なるほど、砂浜は浸食されている。
かつて海岸までしばらく歩いていたような場所でも、
満潮が近づけば、もはや人が立つ場所もない。

海岸浸食。
その原因や対策(の模索)は、
人伝えに聞くこともできるし、
たくさんの記事を読むこともできる。

ただ、自然について、ひいては人間について、
最も深い考察を得ることができたのは、
実際に目の当たりにしたこの光景における、
水の筋であった。

消波ブロックに渾身で突っ込み、
ばらばらになり、激しく、多様かつ一様に、
幾度も引き返していく水の筋。

この水の動きから、
言語化も、数値化もできないものを、
どれほど深く読み取ることができるかということ。

目の前の、あからさまな秘密。

憤怒相 

funnusou2018_1.jpg

道端にある
聖なる 怒りに
 救われている

夕闇の屹立 



多様な枝分かれに任せ 自然なままに 倒れるか
枝を切り捨て 幹を生かし続けるか
どちらを 選ぶのか は
自分が 幹か 枝かによって 変わる
元々 一体であることが わかってさえ いれば
痛みは どちらも 変わらない

はずなのだが