二の足PV 

時々「PV(プロモーション・ビデオ)をつくれば?」と言われる。
悩む。
私は悩む時間が人より長いらしい。
即決など、全然できない。
あまりにも悩んでる時間が長いので、
悩んでるうちに状況が変化する。
なので、たいていの場合、半永久的に悩む羽目になる。
悩んでる時間が無駄なので行動に移して悩んだほうがマシなはずだが、
それでも二の足を踏み続ける。

PVについて自分の脳内を列挙してみる。

・自分自身、好きな曲のPVは観るが、PVを観て曲を好きになることはない。(困ったことに、他人がどうなのか全然想像できない。PVを観てアルバムを買う人はどれだけいるのか。)
・親しい方が曲に映像をつけてくださったことがあり、Last.fmやmyspaceで公開させていただいているが、プレヴューは年間40くらいである。(熱心にばら撒いてないからかもしれないが)
・動画作りというのもが非常に簡単になったらしいことは予測できるが、映画学科出身なので、10分の8mm映画を作るのにどれほどの労力が必要かを肌身で知ってしまっている。特に映画監督など、自分には不可能だと思う。
・とはいえ、脚本も照明も演技も演技指導も美術セットもいらないPVなら、できそうな気がしてくる。
・自分の曲には明確に自分の中で映像が出来上がってしまっている。脳内で完全に出来上がった幻影というのは、現実化不可能である。ゆえに、自分で作るとすればその映像を暗示させるヒントのような映像にならざるをえない。
・音楽同様、画像についても、私は“絞り込む”。1枚の「写真詩」の画像に対して、平均して200枚のボツ画像と、Photoshopによる20のボツヴァージョンがある。静止画(一瞬)だからその程度で済んでるが、動画だとどうなってしまうのか。いったいどれほどの時間を費やすのか。その時間を、音作りに回したほうが生産的ではないのか。
・でもなんだかやってみたい気持ちも出てきた。
・ビデオカメラとビデオソフトを買って、作りだしたら、自分の性格からして、きっと止められなくなる。

――こんな風に悩みながら、鬱々と時は過ぎてゆく。

いくつかの国のAmazon 

アメリカ、フランスなど、いくつかの国のAmazonで、
いくつかの舟沢作品の販売が始まりました。
アルバム/データ両方とも購入できるようです。
海外在住の方で、普段Amazonをご利用の方は、お住まいの、あるいは最寄りの国のAmazonで、
Mushio FUNAZAWA
を検索してみて下さいませ。
追記/補足を読む

月は 


まだ ありますか

読破ではなく 

「OPUS」という雑誌がある。
芸術関連の雑誌で、ほぼ自費出版らしいのだが、けっこうレベルが高い。
この「OPUS」の第2号に、
西川隆範「シュタイナーにおける美と芸術と社会」
という文章が寄稿されている。
タイトルどおり、「ルドルフ・シュタイナーにおける、美と芸術と社会」についての概略を、6ページでさらっと書いてある文章。
西川隆範先生がしばしば~恐らくは出版社の意向で~シュタイナーの思考の道程を単純なレジュメにした本を執筆なさることについては、「単純化しても意味がない」、といった苦言をしばしば目にするが、
この6ページを眺めているうちに、気付けば常に枕元において、日ごろから眼を通すようになっていた
シュタイナーの本を3~5冊読み込んでおぼろげに何を言わんとしているのか解るような事柄が、2行で書いてある。
その2行は、他の2行と複雑に符合し、そこで見えてくることは別の3行と複雑に符合していく。
そしてそれは、私の人生の核心にも触れることがある。
たとえば、私にはどうも、音楽に対して「楽しきゃいいじゃん」という言葉を肯定することに、ためらいがある。「理論上正しい音楽であれば、それは正しい音楽である」という言葉と同じくらい、「気持ちよければ正解だ」という主張には、何やら同意しかねるものを感じるのだ。
その理由が、この西川先生の文章に、さらりと書いてあることに気付いた。
シュタイナーの文献を読まずに、この6ページだけを読んで「あっ!」と気付けるものかどうか、解らない。だが、シュタイナー読みの芸術家には、「あの本にはこう書いてあって、この本にはこう書いてあって…」ともやもやしていることが、短い文章で概観できるので、目を通すたびに、何か発見があるのだ。
シュタイナー本人がしばしば自分の芸術論を絶対化しないよう念を押しているように、私もまた「シュタイナーが言う通りの芸術を作ろう」としてはいない。私はシュタイナーから刺激を受けているに過ぎない。したがって、私の作品について、「これはシュタイナーのどこに書いてある思想ですか?」と訊かれても、大抵はどこにも書いていない。つまり、「あなたの作品はシュタイナーの思想と違う」と言われても、言い返すつもりはない。(ですから“慇懃なる審問”は無用に願います。)

それにしても、年々歳々自らの知能の低さに気付いて行く。
近年になって、私は、本というものを、「読破」することに意義を見い出し過ぎていたことに気付いた。

難しいのなら、解るまで次のページに行かない。
解るまでそこに留まって考え続ける。
そういう本があってもいい。

そういう思いで、T・シュベンク「カオスの自然学」を丁寧に読み始める。
いつ読み始めたのか、もう忘れてしまった。
考えに考え、ついには理解することをあきらめ、ページをめくった箇所もある。

年内には読み終えたい。

「カオスの自然学」の前に読んでいたのは、父の遺句集。半年かけて読んだ。
読書量は数百分の1になったと思う。
でもこれでいいのだろうと思う。

舟沢作品とナディッフに関する情報 

やっと時間が空きましたので、
念願の、新装開店したナディッフ本店「a/p/a/r/t 」に伺ってまいりました。

大変すばらしいアートショップとなっておりますが、
残念なことに、現状ではCD売り場が無いようでございます。

従いまして、ナディッフ系列におきましては、引き続き、
渋谷のナディッフモダンさんが最も舟沢作品を在庫している可能性が高いようでございます。
宜しくお願い申し上げます。

舟沢作品取扱店一覧はこちらです。

見上げれば 


ひとりです

ヒメジョオン 


群生する 夢

無音の ままに 

 
神は 移動する