「夜動く」イメージビデオ 

お待たせしました。完成いたしました。
光過敏性発作の恐れのある方は視聴をお控え下さい。


MyspaceやLast.fmではステレオで聴けます。
どれでも embed 出来ますので、埋め込み/貼り付けをなさる方はお好みでどうぞ。
Myspace版
Last.fm版


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追記/補足を読む

Vegas Studio 8 のバグ 他 

機材関係の記事です。
動画編集ソフト「Vegas Movie Studio Platinum 8.0d」のバグに苦しんでおりましたが、バグの出現条件が判りましたので、どなたかのお役に立つかもしれないので記しておきます。これを書いている時点で、市販のVegas Movie Studio は9になっていますので、そちらのほうでこれが修正されているかどうかは判りません。

●ユーザー設定→編集→デフォルトでイベントのループを有効にするのチェックをはずす。そうすると、イベントを元ファイルより伸ばそうとすると、自動で実在する動画以降がストップモーションになる。
●この自動生成されたストップ・モーションに対して、フェードアウトをセットする。
●以上の状況下で、「ドラフト」などの低画質ではなく、高画質レンダリングを行ったときにだけ、フェードアウトが始まる瞬間に、画面がカットアウトされてしまう。

普段ドラフト状態でレンダリングして制作・編集していて、「よし、本番」と、高画質レンダリングを行うと、フェードアウトするはずの部分がカットアウトしてしまうわけです。

私が行った対処。

●ストップモーションにしつつフェードアウトしたいイベントの、全てのイベントエフェクトを一旦バイパスする。他トラックとオーバーラップさせるためなどの理由で不透明度を落としているときは100%に戻しておく。(不透明度はメモっておくと良い)
●ソロ状態にする。
●ストップモーションにしたい場所にカーソルを合わせ、プレビュー画面右上の「スナップショットをファイルに保存」をクリック。すると、該当箇所がJPEGで保存できる。
●該当イベントの該当箇所を切り、そこに生成~保存したJPEGをぴったり合わせ、フェードアウトを終わらせたい長さにまで調整する。
●予め切ってあった動画イベントのイベントエフェクトを復活させ、不透明度も本来の数値に戻す。そして、それらのエフェクトや数値を、JPEGにもそっくりそのまま付与する。
(こうしないと、JPEGにするときに不透明やクロマキーヤーなどが繋がらなくなってしまう。)
●そのJPEGを、希望通りにフェードアウトする。

ブラーのようなエフェクトが繋がるのかどうかは試していません。
あと、該当箇所だけをドラフトレンダリングして他と繋げても、つながりがバレバレになります。

以上がVegas Studio 8 のバグ(としか私には思えない)現象と、その対処でございます。

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上記バグに苦しみながら「あぁ、またカットアウトしてしまう」と何度もレンダリングをキャンセルしていたら、動画の入ったフォルダそのものが読めなくなるという、身の毛もよだつ体験を致しましたが、これはけっこうよくあることのようです。
色々調べた結果、こちらのようなページを発見。
●上記のページにリンクされているソフトで対処
●他のドライブに丸ごとコピーして、丸ごと戻す
このどちらかで治るケースが非常に多いらしいです。
(Cドライブならセーフモードで開けるかもしれないとか、チェックディスクでドライブをスキャンするなども常套手段のようですが、私の場合はCドライブではなかったし、不良セクタも見つかりませんでした)

ここで気付いたのは、
●「エクスプローラを終了します」と表示されても、そのウィンドウを脇によけておけばまだ作業ができる
●その先で「メモリがreadになることができませんでした」というエラーが出るが、このウィンドウも除けておく。
●Vegasのvfファイルを開く。vfファイルは動画のパスだけを持っていて、動画を内包しているわけではないので、デスクトップにでも「名前をつけて保存」で保存。(パスが狂うので決してムーブしないこと)
●私はTrueImageというバックアップソフトを使っていたので、データを数日前の、フォルダが開けるものに戻す。編集段階に入っているので、新規の動画は追加されていない。
●数日前のデータに戻したら、デスクトップにセーブしておいたvfファイルを開く。
●再び動画の当該フォルダに「名前をつけて保存」。

これで切り抜けました。

どれもこれも、一歩間違えれば数ヶ月、いや数年分の作業も含めて水泡に帰す作業でした。何日も調べ、何日も試行錯誤し、何日も眠れぬほど煩悶しました。
以上の文章がどなたかのお役に立てれば幸いですが、あくまでも参考としてお読みになり、行動は自己責任でお願いします。どんなおぞましい事態が起きても、筆者は責任を負いかねます。

それにしても、何ヶ月も作業して、「よし、これをクリックすれば終了!」と思ってこんなことになって、非常に特異な経験をさせていただきました。
「百里を行く者は九十里を半ばとせよ」とはいいますが、精神的にかなり参りました。
何よりも驚いたのは、意外にも、このような「最後の1クリックから地獄が始まる」というような異様な経験だというのに、バグの特定と、その対処という、極めて論理的な解決が見い出せたことです。不可解かつ理不尽な経験に対して、論理が原因を見つけ、論理が解決を導くという経験を、私は殆どしたことがありませんので、奇妙に聞こえるかもしれませんが、悩みぬき、考え抜いたら、回答が論理であったという、そのことに、大げさに言えば、魂が震撼するほど驚きました。

いい経験をさせていただきました。
相談に乗ってくださった皆様に、この場を借りて御礼申し上げます。
ひと山越えました。
しかし、最後の最後の最後まで、
用心深くやってまいります。

週末か年末か:PV2 

ビデオですが、99.99%できました。
あとはレンダリングして最終確認、というところまできました。

まず、レンダリングに3時間。
そのあと、エラーの表示は出ないものの、出来上がったファイルを見てみると、
確かにフェードさせていたカットがフェードせずにブツ切れになってます。
プロジェクトファイルを見直すと、確かにフェードさせています。

なんのエラーだろう?
そう思いながら、レンダリングを繰り返しているうちに、
プロジェクトファイルをレンダリングしようとするだけで、
「問題が発生したため、このソフトを終了します。」
みたいなメッセージが出て、動画ソフトが強制終了するようになりました。

さらに設定をいじっているうちに、なんと、
動画関連のファイルが全て入っているフォルダを、開こうとするだけで、
「問題が発生したため、explorer.exe を終了します。」
と、Windows自体が落ちるようになってしまいました。

そういうわけで、
ビデオは、実質、ほぼ出来上がっております。
しかし、お見せできるのが、
週末なのか、年末なのか、
解らなくなってまいりました。

私自身のみならず、このビデオに関わってくださった皆様、
このビデオを楽しみにしてくださっている皆様のためにも、
舟沢、なんとしても完成・公開する所存でございます。

申し訳ございませんが、今しばらくお待ちくださいますよう、
伏してお願い申し上げる次第でございます。

ちょっと悟った数十秒後 

PVの編集をしていて、
「ああ、これは要するにコラボレーションなのだな」
と、極めて当たり前のことを体感している。

元々、頭で考えればかなりのことまで理解することが出来ていた。
「自分の言葉で話す」といっても、その言葉が日本語ならば、少なく見積もっても、日本語を形成してきた過去から現在に至る全ての人々との、コラボである。
「自分の胸の奥で鳴っている音を作る」といっても、鳴らそうとして悪戦苦闘する対象はシンセサイザーだったりエフェクターだったりするのだから、少なく見積もっても、それらを設計した人々との、コラボである。

頭で考えれば当たり前のことだ。
意識しようとするまいと、作品というものは自分ならざるものと何らかの折り合いをつけたものである。
青色と黄色が混じって緑色になるように、自分ならざる外界の法則は、多かれ少なかれ必ず作品に色合いを与える。青緑か、黄緑かの違いはあるにしてもだ。

しかし、これを永年、体感せずに生きてきた。
というか、つい最近まで、これを意識化して体感することはなかった。

思い返してみると、音楽において、1曲だけそれを体感したことがあるのだが、その時は漠然とした“不全感”のようなもので、それが何であるのかうまく意識化できなかったのだ。
その曲の中心モチーフが生み出されたときと、
曲が完成したときで、
曲調がまるで違ってしまったのである。
「これはこれで確かに完成した。これはこれで悪くない。しかし、一番最初に生じた曲とは別のものになってしまった。メロディーも、対旋律すら同じ出だしではあるけれど、曲が指し示している世界が全く別のものになってしまった。これでいいのだろうか?」という思い。

B・イーノ氏はかつて、
「到着地点が、当初思い描いた目標からかけ離れていればいるほど、それは成功したことになる」というようなことを仰っていたと思うが、そのような言葉を思い出しながら、しかし不全感は拭えずにいた。(驚くべきことに、幾歳月が過ぎた今でも、その不全感は衰えない。)

ヴィデオとなると、さらにそれを感じなければならない。
写真~静止画では、それを意識化することはなかった。
対象と折り合いをつける必要が殆どなかったからだ。
「違う、違う、違う」と見回し続け、
「違う、違う、違う」とアングルを探し、
「違う、違う、違う」と撮って撮って撮りまくり、
「違う、違う、違う」と選びまくり、切り取りまくり、
「違う、違う、違う違う違う違う」とソフトで色や光や闇を追い込んで、
出来上がりとしていた。
こうして書くと、音楽の簡易版みたいな感じか。
これでは相手とコラボしてるという意識は生じない。

ヴィデオの場合、いくら「違う違う違う違う」と撮っても、
いざ編集してみると、全く違う様相を見せてくるのだ。
あれ?あんなにがんばったシーンが、編集してみると使うところがない??
あれ?一応撮っとこうと思って予備で撮ったカットがこんなに大事なカットになる??
あれ?ちょっとあればいいやと思ってたカットの尺が足りない???

PVの第二弾は、やっと微調整の段階に来ている。
それは確かに完成しつつある。
しかし、使う気満々で撮った、夥しいボツカットが残ってしまった。
自分でもなぜそれらが使えないカットなのか、既に微調整に入っていてもなお、理解できないのだ。

撮った対象。
編集によって生じるモンタージュ。
それら、自分に属さないものたちとの、コラボなのだ。

作品というのは、多かれ少なかれ、必ずコラボであるということ。
それを、頭の理解ではなく、体感として、いわば悟ったのは、今夜、長距離列車の中で物思いに耽っていたときだった。
よし。これでまた一歩前へ進めたかな。
そう思って、窓の外からアルセーニー・タルコフスキー詩集に目をおろし、ページをめくる。
「自分自身になれ」
‥‥凄いタイミングで凄いタイトルが目に入ってきた。
数十秒前に、ほんの少し手放せた気がした“業”が、再び目の前にある。
しかもこのタイトル、ゲーテの引用ではないか。

こりゃぁちょっと、暫定的な解釈すらできない。
しばらく内界と外界と、その境界を見つめながら、
注意深く日々を過ごそう‥‥

わからない徒然 

つくづく、自分はアナログの音が好きなのだと思う。
こういうことには気づきたくないし、
変われるものなら変わりたい。
アナログ。
デジタルでもアコースティックでもなく、アナログ。
現在、最も滅びる可能性の高い、アナログ。

たとえばある種のCD(ドローン系と呼ばれるらしい)。
トロンボーンか何かで、単音を小一時間、鳴らし、鳴りやみ、鳴らし、鳴りやみ。
これがなぜか、堪えられない。
数十年前の現代音楽。
トロンボーンか何かで、単音を小一時間、鳴らし、鳴りやみ、鳴らし、鳴りやみ。
これがなぜか、飽きない。
アナログテープに録音されたものは飽きないものになりやすい。
なぜそうなるのかは、解らない。

VCO-アナログ発振は飽きない。DCO-デジタル発振は飽きる。
こちらは以前から解っていることで、私だけではなく、
昔は散々議論されていたことだ。
アナログ発振は留まらない。デジタルは回路が安定しすぎて音が止まって聴こえてしまう。しかしデジタルの方が便利だし安い。どうしたらいいのか。
デジタル楽器出現当時は、雑誌で、楽器屋で、そんな話ばかりだった。

しかし、生楽器の発音ならもっともっと複雑で留まっていないはずだ。
それをデジタル録音すると、どういうわけかたちどころに飽きてしまう。
ドの次に、すぐにレなりミなりが聴きたくなってしまう。
一音の内側に入っていけないのだ。
VCO-アナログシンセのデジタル録音だと、こういうことが起こらない。

なぜだろう。

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もしかしたら、アナログということ以外にも様々な要素が絡んでいるのかもしれない。
たとえばマイク位置。
どういう楽器にどういうマイクを、どういう角度でどういう距離で設置するか、
その技術は殆ど継承されない。
音質にも流行りすたりがあるし、
エンジニアさんも、名人ほど技術を秘密にしがちである。
だから数十年前の技術は、殆ど残っていない。

色々なことが、わからないまま、歴史になっていく。

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自分は過去にしがみついているのだろうか。
そう自問してみたりもする。
そんな気もするし、そうでない気もする。

私だってアナログシンセならなんでもいいというわけではない。
昔のシンセ音楽で、好きでないものは沢山ある。

それに、今や最新のPCで最新のソフトシンセを使えば、
それはそれは凄まじい音を出すことができる。
徹底して複雑化させたデジタル音でも「なぜか飽きてしまう」のなら、
ある種の才能溢れる若い人々のように、
そのソフトで出した音をカセットに何十回もダビングしてから、
もう一度PCに戻してやればなんとかなる。

しかしそれでは、演奏ではなくなってしまう。
それでいいのだろうか。

わからない。

わからなくても、
いつかハードウェア・シンセがこの世から消えれば、
そうせざるをえないだろう。
元々いくら練習しても幼児教育レベルを維持するのがやっとの指だ。
マウスだけで音楽するのもまたよかろう。
しかし、自分の求める音のつつましさ、
そのつつましい音を実現するための膨大な作業を思うと、
再び考え込んでしまう。
PCに入ってる数千数万のプリセット音の中に、
私の音は、ない。
数ヶ月かけて一々作っていったほうが、
選ぶより速い。(リズム楽器は別ですが)
しかし、その数ヶ月かけて作る音の、なんとシンプルなことか。
私が私の胸の奥で鳴っている音を放棄すれば、
いったいどれほど膨大で豊かで高品位な音が手に入るのか。
それを思うと、めまいがする。

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似たような話で、最近のめり込んでいる画像ソフトや動画ソフトがある。
私はそういったソフトを、最小限にしか使わないし、使えない。
プロのように、四角形を生成して、それを加工して炎の画像を作るような、そんな神業みたいな事はできない。
しかしそんな私でも、プラグインの癖がある程度見抜けるようになってきた。

私は、納得のいく「ピンボケ写真」が撮れるまで、何度も試しながら撮っていた。
やがて、「ピンボケのプラグイン」の存在に気づく。
これは非常に便利なもので、合成をなじませたりするときに重宝している。
しかし、これで「ピンボケ」を作ってしまうと、そのプログラムの癖が出てしまう。
すぐに「あ、あの会社のあのソフトのプラグインのボケだ」とわかってしまう。
やはりその場で試しながら撮っていたのは正解だったと思うし、これからもそうするだろうと思う。

そういえば私には音でも2種類ばかりそういうプラグインがある。
ひとつは有名な、ドイツの学生さんが作ったデジタル歪みのエフェクター。
ハリウッド映画なんかで、場面転換のたびに「しゃごっ!」とその音が鳴ると、書き割りを見るような興ざめを感じる。
もう一つの、とあるDTMソフトを買うと必ずついてくる「通すとSP盤の音になるエフェクター」も然り。鳴り出した途端、ああアレね、と思ってしまう。

――やはり自分で七転八倒してたほうがいいのか。
それとも、そういうのって、じつは下手なものに目や耳が気付いてるだけで、四角形を炎にするほど操作を極めて、超越すべきなのか。
はたまた、それと判るプラグインは避けて、要領よくスマートにやりくりすべきなのか。

わからない。
もしかしたら、その全部なのかもしれない。

‥‥なんか、書いてたら、本当に全部からその都度選び取っていくのが正解な気がしてきた‥

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最近、MP3の音質ということに、何か秘密があるような気がしている。
ある種のポストロック。
「おっ?」とジャケ買いしたCDを聴いて、「うわっ!」と慌てて中古に売り飛ばすことがある。(ジャケがい、って死語ですか?ジャケットデザインに惚れ込んで、リスクを取ってCDやレコードを試聴せずに購入することです。)
ただ単に買って失敗だったのみならず、こういうCDが家に置いてあるということ自体に我慢ができず、すぐにでも処分したいと思ってしまうような、そんな“ひどい”アルバム。

ある日、Last.fmのMP3ラジオをシゴトで聴いてて「おっ?いいな‥」と耳を留める。
見ると、確かに私が慌てて売り払ったアルバムである。
こういうことが、複数回起きて、全て「ポストロック」と分類されている音楽に関してなのだ。

‥?
もともとMP3で聴くように考えられていて、CDは度外視して音作りしている?
まさか。
聴くときの意識状態で、聴くに堪えない音楽が良い音楽に変化する?

わからない。

しかし、私にはケージやグールドのような例がある。
ある日突然何がなんだか判る日が来るのかもしれない。
来ないかもしれない。

わからない。

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なにせ二十余年封印してきたほどだから、
自分のことを動画をナメているとは、思っていない。
しかし、それでもくじけそうになったり、欲が出て判断がつかなくなってきたりする。
そういうとき、何人かの天才の失敗作を思い起こす。
(監督さんの名前や映画のタイトルは控えます)
そういうときの監督さんから、非常に良く聞く言葉。
「次いつ撮れるかわからないから、
これが最後のチャンスかもしれないから、
やりたいことを全部詰め込んだんです。」
何かをやり遂げる力には、何かをやらない決断力も含まれている。
わかっているようで、なかなか実践出来ない。

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私は、作りかけの動画を完成させなければならない。

これは、わかっております。
いましばらくお待ちください。