リアル、ヴァーチャル、エスカレート 

元々、不安神経症もちである。
人と会うのは概ね苦行である。
私は、非常に少ない人々を非常に大切にするようにして生きてきた。

あたりまえだが、時が経てば友人は減る。
減るというか、家庭を築けばそっちが大事に決まってる。

そんな中、テクノロジーは進む。
近所に映画館はなくなり、
駅前の本屋が消え、CD屋はなくなり、
買い物で人に接するということもなくなった。
1枚のCD、1冊の本を探して東京中さまよい続けることはもはやない。
通販で宅配便の人に「ここにハンコ」と言われるのと、
コンビニで「あっためますか?」と言われる以外、
他人との会話はほぼなくなった。
(あとは月に数回、各種病院で症状と次回の予約について僅かに会話する程度だ)

仕事においても、
徒歩で7歩くらいの距離の人と共に働いてても、
お互いは防音壁で隔てられ、
仕事の結果を共有ディスクにコピーし、
コピーした旨をメールしている。

胸襟を開いた会話、というと、
最近ではmyspaceでポルトガル人と互いにカタコトの英語で筆談してるときに一番本音で語っていたりする。
もはや私にとって「人間世界」というのは、8割方がヴァーチャルである。

生命が枯渇して当然だ。

「これじゃいかん」と思って、数年に一度のペースで「リアル探し」をやる時期が来る。
初めて行くインディーズショップに挨拶と商談に行って、怒鳴られ、つまみ出され、
シネコンで他人のケータイに耐え、
小劇場で初対面の舞踏家さんに名刺を渡すタイミングを逸し、
クラブなんぞに居場所はなく、
ライブハウスなんぞに行けるはずもない。
(私は電車の中でケータイストラップについてる鈴にすら耐えられないのだ)
似たようなメンタル症状の人々の“集い”なんかに出席しても、
自己憐憫を言葉で排泄し合う阿鼻叫喚に溶け込むことができない。
そうやって結局、ボロッボロになってヴァーチャルに戻ってくる。

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今日、時間が出来たので藤井健仁展を見に行ってきた。
運よく藤井氏もいて、久しぶりにしばし話すことが出来た。
(藤井氏は私の数少ない大切な友人である)

藤井氏は言う。
「結局はヒトだ。それも実物のヒトだ」と。

「いや。どうしてもライブは聴くのも演るのも好きになれない。
第一、もはやそんな体力も失ってしまった」と言ったが、

「それでもヒトだ。今までの成功例は全部ヒトに出会ったのがスタートだろ。
どんなにひでー目に遭っても、いいことの始まりもヒトからなんだってば。
いい店長との出会いとかさ、それも店ってゆうよりヒトでしょ?
それもリアルに実物に会わないと始まんなかったでしょ?」

うーむ‥‥正論だが‥‥確かに正論だがなぁ‥‥

ちなみに、藤井氏の作品はさらにクオリティを高めていました。
哲学的、思想的な批評は最早私の出る幕ではありませんが、
「まだうまくなるんかいな」と、技術の向上には毎度驚くばかりです。

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