中間地点の先 

中間地点を過ぎた後、
私はどこを歩むべきか。
永い間、考えてきた。
未だに、わからない。

ここで言う「中間地点」とは、
ヘッセならシッダールタを著す近辺の手記にあり、
キム・ジハ氏なら獄中の手記にあり、
カントルなら「ゼロ=全ては一触即発」と呼んだ、
あの極限状態を指す。
YMOなら「テクノデリック」の辺りか。

多くの芸術家が、
中間地点に到達して死ぬ。
中間地点の先へ行くときに、大きく作風を変えて、つまらなくなる。
中間地点の状態を維持しつつ、ゆっくりとミイラ化していく人も多い。
中間地点を過ぎてから花開いた人は、とても少ない。

こまったことに、
そしてあたりまえなことに、
時はうつろう。

myspaceをやってて「はっ」と気付いたこと。
音符について全く考えずに、オーディオを主体に音楽する人の多さと、質の高さ。

イーノの「オン・ランド」を聴いたとき、
これ以上のものは永久に現れないと思っていたし、
D・シルヴィアンとH・チューカイのコラボを聴いて、
これはちょっとやりすぎなんじゃないか、なんて思っていた。

こういった「私の原点」とも呼びうるアルバムの多くが、
今、初心者がなんとなく作ったものと大して変わらない。
(もちろん、私は私の音楽しか作れない。幸か不幸か)

「私は過去を放棄すべきかどうか。」

これは非常に多くの音楽家が苦しむ課題である。
本人が変えるつもりが無くても、たとえば、
「もう磁気テープが販売されなくなった、
だからHD内でミックスするようになった、
そしたらアナログミキサーを通さないので小さい音がにじまない、
だから必然的にエコー量も楽器数も減った」、
‥と仰る非常に有名な音楽家さんのニュー・アルバムが、
ファンの袋叩きに遭っている。

私はここ数日、
1オクターヴを10等分する音階を作っていた。
以前一度MICROWAVEというシンセで出すことに成功したが、
手放してから、あまりの設定の大変さにしり込みしていたのだ。
TX802(FM音源)で、テンプレートが完成した(と思う。)
ふと気付けば、ソフト・サンプラーというのは、
鍵盤ごとにサンプルを持ってたりするので、
このテンプレートを基に、
様々な“生楽器”を1オクターブ10等分の音律にできる。
でも、
やり遂げられるかどうかわからない。
やり遂げられたとして、気に入った楽器にできるかどうか判らない。
できたとして、その音にあった曲ができるかわからない。
できたとして、それがレコーディングできるかどうかわからない。
できたとして、それをCD化できるかどうかわからない。
できたとして、お店は置いてくださるだろうか。
どのくらいの方々が買ってくださるのか。
そもそも、それは何年先なのか。

私は途方も無く無駄なことをしていないか。
「楽しければいいじゃん」という人もいるが、
私にとって音楽は楽しいものなのだろうか。
判らない。

私は私の過去や私の思考を放棄すべきだろうか。
判らない。
私はどこへ向かったらいいんだ。

毎月、鍼灸師(禅僧)に治療をしていただく際、
最近は1時間早く伺って、
座禅をさせていただいている。
先日、「治療のときだけじゃなく、もうちょっとこまめに来てみては」
みたいなことを仰っていた。

うむ。
座禅して、「自分に訊いてみる」というのもいいかもしれない。
しかし、そういえば、その禅僧さん、
「そーだねー、あぁ、座るってのはこういうことかな?って、
座り方が判るのに30年くらいかかったかねー」
って言ってたな。
ここでも「無駄かも」と「いやとにかく前へ」の狭間、か。

時間があれば、「ゲーテ的世界観の認識論要綱(シュタイナー)」とか、
じっくり読み直してみたい。ヒントがきっと書いてある。
そう思って本棚を見上げる。
まだ読んでない本が山と積まれている。
本買い過ぎだ。

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://mushiof.blog45.fc2.com/tb.php/157-5d09cd8f