サウンドスケープ/音整備 

そもそも、日本に輸入―紹介された当時から、
私はサウンドスケープという概念に、やや懐疑的であった。
(それはいわば、なんか奇妙な親戚ができた、という感覚だった)
古い小説に出てくるような、
一匹の虫を小さなかごに入れて一晩そのささやきを楽しむ、
というような生活は既に歴史上の話になっていたし、
紹介されるような「蝉時雨とさおだけ屋の声」も、
当時既にヴァーチャルなものになっていた。
さおだけ屋は既に拡声器を使っていたし、
実際には自動車の音も混じってしまうので、
そのような“サウンドスケープ”は、時代劇などの中で再現されるのみになっていた。

そもそも、そういったサウンドスケープには莫大な静寂が必要になる。
なんでも、富士山や伊豆諸島など、関東地方の山が噴火した音が聞こえたという日記が、平安時代の京都には多く残っているというのだから、
近代化前の、電気もガソリンも石炭もない時代の音風景など、我々に思い浮かべることはできまい。

輸入当時、サウンドスケープはアンビエントと兄弟のような概念であった。
最近、Wikiなどによってやっと若い人々にも周知されるようになったが、
元々アンビエントというのは、何らかの“質感”を指す言葉ではなく、
「無視することもでき、集中した聴取にも耐えうる音楽」という“概念”であった。
それはいわば、空間作りのための音楽であったのだ。
これで、当時の一部のアーティストの言葉の意味が了解される。
「イーノが作っているアンビエントなど、あんなものはアンビエントではない。
毎朝とどろく電子目覚まし時計、朝からうるさいニュース番組、時計替わりに付けっぱなしにして垂れ流される、15分で終わってしまう朝のTVドラマの音、ああいったものこそアンビエントだ!」
いま持ち出すとなにを言ってるのかさっぱり解らない言葉だが、“環境音”という概念で考えてみれば何を言いたかったのか解るだろう。(当時、アンビエントという言葉よりも、その訳語である“環境音楽”という言葉の方が一般的であった。)

で、サウンドスケープである。
私は「内的音風景」という意味で、内面で半永久的に鳴っている音を具現化して「innersoudscapeシリーズ」として発表したし、機会があればまたやりたいとも思っているが、
今話題にしているのは、外的、物理的サウンドスケープである。
かつて「東京湾を殆ど埋め立ててしまいましょう。もう東京湾には守るべき生態系などありはしないのですから」と言った建築家がいたが、
東京湾の環境は置いといて、汚れきった現代のサウンドスケープには、できることがあるはずだ。

音の環境整備。

つい数年前まで、駅の階段付近のスピーカーから、
「ピンポーン。ここに、エスカレーターが、あります。」
「ピンポーン。ここに、エスカレーターが、あります。」
「ピンポーン。ここに、エスカレーターが、あります。」
と鳴り続けていてかなり神経を削られたものだが、
最近は、同じスピーカーから、鳥の声が鳴っている。
これは目の不自由な方にも理解でき、目の見える人の神経も削らない、
よくできたサウンドスケープだと私は思う。
(野鳥マニアの方にとっては、その地方のその季節に居るはずのない鳥の声が聴こえるので、少なからず不愉快なことであるらしい。まだ改善の余地がある、ということか。)

駅と言えば発車のメロディだが、
私は東京メトロのような「プー。」という単音が最もいいと思っていて、
メロディでもまぁホイッスル聴かされるよりマシだと思っているのだが、
これは音楽家によって驚くほど意見が異なる。
転調が多いと自殺者が増えると息巻く作曲家さんもいれば、
駅のメロディにどれほど劇的な転調を入れるかに夢中になっている作曲家さんもいる。
中には、わざとなのか故障なのか分からないが、
番線によって“同じ曲の半音違い”が鳴って、同時に発車するときなど地獄のようなサウンドスケープになる駅があるのだそうだが、知人のミュージシャンにそのことを話したら、
「ああ。それなら両方とも発車することが絶対に判って便利ですねぇ」
と仰っていた。
駅の発車時の音/メロディについては、まだまだ考察の遠い道のりがある。

ケータイ。
携帯電話について、今最も深刻な流行は、生産者の皆様には申し訳ないが、
“鈴つきストラップ”だと思う。
あんなキリキリした高周波を聴いて平気で、それを持ち歩いて自分からその音が出てて平気で、それを耳元に持ってきても平気で、その音が周囲の人々ははおろか電話で話してる相手にも苦痛を与えているかもしれないことを気に留めない人間など、私は知り合いにもなりたくないし近寄りたくもない。
一刻も早く“鈴ストラップ”はやめるべきだ。
これは、同意する人が少なからずいて、なおかつ、理解できない無神経な人も少なからずいて、拮抗しているらしい。
先日、知人の若い人に、「そのケータイの鈴は人としてヤバイのでやめたほうがいいですよ?」と言ったら、
「実はヤバイって判ってるんですよ。でも、とても大切な人から頂いたもので、暫くはずせないんですよ。もー自分でもうるさくて。」
全国の無神経な女性の皆さん。彼氏に鈴ストラップをあげるのはやめましょう。彼も、彼の周りの人々も苦しみます。彼の評判も落ちます。

あ、ついでに女性の皆さん。一部のサンダル類の足音は騒音公害です。醜い音を発してたら、せっかくのおしゃれも台無しですよ。

電車内のケータイがものすごく不快であることは、車内放送されるほどであるから、多くの人が同意するところであろう。
アナウンスには、「尚、着信音、ボタン操作音等にもご配慮をお願いします」とある。つまり、あの「ピ、ピ、ピピ‥‥ピ」という不規則なボタン操作音が強烈に不快であることも、少数派の意見ではない、ということだろう。
ここで問題と、非常に簡単な解決法を提言しておく。
知人の多くに「ボタン操作音をオフにしなさい」と注意しても、「そんな難しいことできない」とか「これは出来ない機種なの」と言う。それを貸してもらって、私がボタン操作音だけ消したことも何度かあった。
そもそもボタン操作音のコンフィグが、かなりの人にとっては難しくて出来ないことなのだ。
この問題の簡単な解決法。
ボタン操作音が必要な人、というのはどのような人だろうか?
思い浮かばない。
もし仮に必要な方々がいらっしゃるとすれば、相当なマイノリティであるはずだ。
つまり、「必要な方はボタン操作時に音を出すことも出来ます」、にすればいい。
つまり、ボタン操作音の工場出荷時の音量をゼロにすればいいのだ
デジカメのボタン操作音も同様である。長距離列車で旅のご老人がデジカメの操作の勉強をし始めると、出張のビジネスマンと一触即発になる。

ケータイの開閉音。
多分これは少数派かもしれない。
私はケータイを開閉するときの「チャキッ」という音が大嫌いなのだ。
いつも買うときにうるさい店内で開閉音を確かめようと耳元にデモ機を近づけてパカパカ開け閉めしていて、ちょっと挙動不審かもしれないが、デモ機で確かめても持ち帰ると開閉音が結構うるさい場合がある。デモ機と実機で物理構造が違うのか、それとも沢山の人が店頭でデモ機をいじるので、音が変化するのか。少なくとも、今私が使っているケータイは2年使ってるが、買うときのデモ機のような静かな開閉音にはなっていない。小指を使って自分に耐えられる開閉音に留める技も、もう手が覚えてしまった。(今の機種だけで通用するワザ。)
人によっては、「あれはきっと化粧品や高級ライターとかをイメージして“鳴るように”作ってあるんじゃないか」という人もいるが、それが事実ならおぞましいことだ。
来年早々に出揃う新機種から、ケータイを買い換えようと思っているが、開閉音の静かなものはどのくらいあるだろう。

他にも、“こすれると黒板引っかいたようなキシャキシャした音を発する生地の服”、“固定電話の親機と子機の「調」”、“テレビと有線が同時に鳴ってる喫茶店”、“アナログ腕時計の針音”、“同じ市の指定ごみ袋でも、買う店によってガサガサうるさくて耳栓無しに使えない袋とそうでない袋がある”など、

サウンドスケープ、まだまだ出来ることがあるはずだ。
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音じゃないので追記として。
LEDが流行りすぎている。
あまりに強烈な光のために、私は殆どのLEDに紙を貼るか、紙で覆うかしている。
そもそもテレビを観るためのHD/DVDレコーダーがLEDが眩しくてTVどころじゃない、というのはおかしすぎる。
枕元のラジカセを買い換えたいのだが、いまLEDのイルミネーションが無い製品を探すのが至難の業だし、見つけても本当にどこも異常に光らないのか確かめられない。電源が入っていないのだ。
一つだけ、「枕元用」と銘打った音の悪そうなラジカセ(CDチューナー)があったが、電源入ってるところを見たら巨大なデジタル時計が光って点滅することが判って買わずに良かったと思っている。

企業には視聴覚上の環境にも配慮してものを作ってほしいものだ。

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