内的義務 

「目障りだ。うせろ。」
そう言われ続けて生涯を終える人がいる。
そういう民族もいくつかある。

私には、私が存在するということ、
私の音楽を地上に存在させるということが、
何かとても不自然なことに思える時がある。

では、ほかにどういう人生がありえたか、
と自問しても、答えはない。

こうでしかありえなかったけれど、
私という存在自体がこの世界にとってどこか不自然だし、
私の活動は、とても不自然な努力によって辛うじて成立している。
(成立していないという人もいるかもしれない)

私の活動は、何もかも無駄かもしれない。
じつは、楽しいことですらない。
しかし、やめられない。内的な義務を感じる。

ここでも似たようなループがある。
いらない奴と言われるから音楽を作っているふしがある。
その音楽がいらないから、いらない奴と思われる。

この世に居場所を作るための、膨大な労力。
あの世から見たら、この努力は怠惰なのだろうか?
‥と思っていたら、たまたま読んでいた神秘学の本に、
「環境に自らを適応させること以外に心血をそそぐのは、
怠惰ではない。現代ではそのことがわからなくなっている」

という記述が出てきた。それも神秘学-芸術学の文脈でだ。

すこし安心したが、安易な自己肯定は控えるべきだ。
そう自らを戒めて、精神生活を再びいつもの悪循環に戻していく。

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