羅針盤と 波 

人間、思ってもみない方角に道が進んでいくものだ。

何度も書いてきたことと重なるけれど、

まさか自分がジョン・ケージの音楽をしみじみ聴くようになるなんて、想像もしていなかった。(もっと言えば、そもそも心で聴く音楽を作ってる人だとすら思っていなかった。)

永年、録音芸術を志しながらG・グールドの音楽を全く理解できず、笑われたり怒られたりしてきたが、まさか解るように--解るというのが不遜なら好きになる--そんな日が来るなんて、考えもしなかった。この夏は「フランス組曲」を連日のように聴き、スクリャービンに耳をそばだて、秋に入ってからはリハーサル録音だという「田園」を貪り聴き、CDを買いまくり、これでは金銭的に埒が明かないからと、滑り込みセーフで廉価な限定盤80枚組の全集を購入。CD80枚だなんて。十代の頃は3ヶ月なり半年なり、一つのアルバムを聴き続けたものだが。

20年以上、動画作りを封印して生きてきた。
20年、30年と助監督を続けると、カチンコを打ち始めて打ち終えて画面から消えるまでが4~5コマ(1秒=24コマ)で出来るようになり、そのぶんフィルム代を節約できる、それこそプロの真髄だ、そういう教育を受けた世代。タレントさんが私財で映画を一本監督し、残りの人生の大半をその借金の返済に充てていて、世界中の映画祭でグランプリを取ってる巨匠が実家を担保に借金をして映画を撮っていて、ビデオはポルノくらいしか市場がなく、自費でヴィデオアートを作る人や観る人は極度に限られていてしかも機材レンタルでも百万以上かかって、テレビの番組制作の少なからぬ人々が世界は自分たちのものだと思っていた、そういう時代。その時点で私の動画の知識と認識は凍結され、時折夢でうなされるだけになっていた。
まさか動画を再び作る日が来るとは思ってもみなかった。
動画撮影独特の苦痛に何度も倒れながらではあったが、出来上がってみれば思いもよらない達成感。
もう一本撮りたい欲望を感じ、デジカメを持ち歩いているが、実現するめどはまだ全然立っていない。

今書いただけで、ケージの道、グールドの道、動画作りの道。本当はもっともっとあるのだけれど割愛。全く考えもしなかった道というものが、いくつも開けていく。

こういうことを書くとカミサマに申し訳ないのだが、正直、
ちょっと困る。不本意だ。
内なる羅針盤が指している方角と、世界から襲いかかる波の方角が、違いすぎる。


かつて、私より少し若い、才気あふれる売れっ子ミュージシャンが雑誌のインタビューで語っていた。
「自分は、作曲するとき常にストップウォッチを見ながら作る。シングルの宣伝や、CMとのタイアップを考えれば、印象的なサビを15秒以内にまとめ上げるべきだから。」
そんなこと長くは続かないと思っていたのだが、今思えばまさにそこからがスタートだった。音楽は世界に過剰に満ち溢れ、人々は好きな音楽かどうかを数秒で判断し、着メロにして数秒聴くようになった。だから、今の音楽家に求められている能力は、昨今の大半のヒット曲のように2小節以内で印象的なフレーズを作ること。ポップスたるもの、3秒程度でどういう曲か聴衆が理解・判断できるように作らなければならない。かつてのバンドブームの頃に流行ってたバンドで、今リバイバルしてる曲を聴いてみるといい。曲が2小節×2のモジュールの繰り返しから出来てる。3秒でサビの主要なメロディーを聴き終えられる。ほんとうは、きっと、暗闇の中でじっとケージ聴いてる場合じゃないなのだ。

先日引退なさった、敬愛する某アンビエント系音楽家さんと、そのご友人というギタリスト氏のコラボレーション・アルバム。入荷を数ヶ月待ちわび、やっと手に入れた。末永く聴いていきたいアルバムなのだが、最後の曲で「カカカカ…」と音飛びして先へ進まない。
調べてみると、ちゃんと鳴るCDプレーヤーと、音飛びして鳴らないCDプレーヤーがある。おそらく、盤面の0と1のパンチ位置がずれていて、バッファに多く“先読み”するCDプレーヤーじゃないとまともに鳴らないということらしい。つまり、PCに取り込んでファイルにすれば問題はないし、鳴らないのが100%ではない以上、返品で揉めるより気長に再プレスを待つか、自分でCDRを等倍焼きしたほうが労力が少ない。
こんなにもいいかげんなプレスが横行している。
CD文化はさらにさらに衰退しているのだ。
先日も、とある大手CDショップさんでCDを買っているときに、業者さんと店長さんとの会話が耳に入ったので聞いていたら、「売り上げもつらいし、在庫がほんっとうにつらい。がんばってここ数年で売り場面積を半分にしたけれど、さらにもう半分にしないと、もたない。」と苦しげに仰っていた。
私は、CDを買いまくってヘッドホンで一人聴き入るのではなく、ほんとうは、きっと、ポータブルプレーヤーで圧縮ファイルを他人がいる場所で聴くことに適応すべきなのだ。

ほかにどうしようもないので、(多くの皆様の技術アドバイスをいただきつつ)、ホームページの作り方を憶えた。
とうとうほかにやってくれる人がいなくなったので、デジカメや画像ソフトを買い込んで、使い方を憶えて、ジャケットも自分でデザインするようになったし、ネット向けに静止画も作るようになった。アルバムに1つか2つ掲載することには集中するが、詩を書くつもりだって元々は殆どなかった。
そのうえ動画が作りたい?なにそれ、マルチクリエーター?そんな肩書きの人間になるの目指してたっけ?

動画ソフトと格闘したり、カメラ持って歩き回って動画の素材をため込むことではなく、ハードウェア・シンセの維持に頭を抱えることでも、衰退するMIDIに悩みぬくことでも、アナログ結線の接触不良に苦しむことでもなく、私に本当に必要なのは、きっと、ソフトシンセにUSBキーボードつないで次から次へとソフトやファームウェアをアップデートしながらとっとと曲を完成させていく方法に適応することなのだ。

幸いなことに、心の羅針盤はしっかりと方角を指し示している。
不幸なことに、乗り越えるべき波は、全く別の方角から迫り来る。
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ひとつ、ひょっとしたら重要かもしれない人。
ウィリアム・バシンスキーという人の“発見”。
ずいぶん若い方ではないかと思っていたら、私よりずいぶん上の世代の方らしい。
CDが非常に手に入りづらくて、まだ手元に一枚しかないが、
ひょっとしたら、この人、何か私にとって重要なヒントを持ってらっしゃるのかもしれない。

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