何も起こらない中に 

電車の中で、上半身を横倒しにして、
倒れるように眠る、
作業着を着た若い男。

誰も注意しないし、誰も近づかない。
みんな知らん顔して、その男の周囲だけ、電車がすいている。

別にモラルどうこうの話ではない。

私には一目見て、そのオニイチャンが、
ほんとうのほんとうに疲れていることが解った。
自分にも経験があるから。

―それは、(とりあえず今まででは)人生最悪の日々だった。
心も身体も疲れ果て、仕事が終われば、もう家へ帰る体力も残っていなかった。
やっとのことで電車で座ると、そのまま縦に倒れこんで、
自分の腿の上に突っ伏して休んだ。
どれほどぶざまであろうと、そうする以外に、私にはどうすることもできなかった。
「死ね!ああいう奴は死ねっての!あははっ。戦争中はねぇ、ああいうのはみーんな死んじゃってたのっ!」
かろうじて首と眼球の筋肉を動かして見上げたときに見た、私を指差しながら若い女性に向かって陽気に大声で話しかけている老人の愉悦に満ちた表情を、私は生涯忘れないだろうと思う。
そしてそのときに、姿勢を戻すことも、立ち向かっていくことも、何一つできなかった自分のことも、生涯忘れないだろうと思う。
私はただただ「死ね!」という生の悦びに満ちた罵声を浴び、いつもの駅を転がるように降り、いつものように這うように道を進み、いつものようにアパートの階段を四つん這いで昇り、いつものように、最後の力を振り絞って明日の目覚ましをセットし、いつものように眠った。

電車で眠る作業着のオニイチャンが、その時の私と非常に近い状態であることは、どういうわけかすぐに解った。酒でもない、自暴自棄でもない、野蛮でも、礼儀知らずでもない。なぜ一目でわかるのだろう。自分が体験したことは一目で解るものなのだろうか。他の乗客にはどう見えていたのだろう。

わたしは、彼に背を向け、ドアの脇に立ち、思った。
「あんたのことは、オレにはわかってる。わかってるんだよ。」
つまり、何もしなかった。

そのとき、ふと思ったのだ。
何も起こらないというのはこういうことではないのか。
何も起こらないというのは幸せなことだと言う人がいるが、
何もいい事が起こらない、誰も助けてくれない、どこにも救いがないというのは、
人であろうと霊であろうと、だれかが無言で、
「あんたのことは、オレにはわかってる。わかってるんだ。」
と思って、どこかから見つめていることではないのだろうか。

―ここで文章が終われば、「ちょっとイイ話」で終わるだろうに、
私の思考は先へ続く。

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ずいぶん昔のことだが、もう一つ忘れられない経験がある。
舞台の稽古に、ある役者さん(女性)が、ひどく遅刻してきた。
どういう経緯だったか忘れたが、その日の稽古を仕切るのはなぜか音楽/音響の私だった。
私は怒鳴るのも我慢し、イヤミを言うのも我慢し、その事を何一つ口にせずに、
黙々とその日の稽古をおこなった。
その夜、別の役者さんから緊迫した声で電話がかかってきた。
「あの役者が舞台を降りると言っている」
―私は今日、現場に2時間も遅刻していった。
それなのに、あの音響さんとときたら、やさしい言葉をかけてくれるどころか、一言も話しかけてくれなかった。
信じられない。
これほどひどい仕打ちを受けるのなら、私はもう、この役を降りる。
そう言っているという。
わけがわからないので俺が話を聞く、というと、いや、あの音響さんとはもう口を利きたくないと言って泣いている。自分達でなんとか引き止める。そう言っていた。
その役者さんとはそれっきり最後まで口を利かなかった。
向こうも涼やかな無表情で私の存在を無視し続けた。

知らないどこかで、私の無言を恨んでいる人がいて、
私はそれに気付くことも、理解することも出来ない。

知らないどこかで、無言のまま私を恨んでいる人がいて、
私はそれに気付くことも、理解することも出来ない。

何も起こらない、ということの中には、
無数の善きことと、
無数の悪しきことが、
びっしりと詰まっているのだ。

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