カオスの自然学 

テオドール シュベンク 著「カオスの自然学」

いま自分のブログ内を検索したら、最初に登場するのが2006年1月、
「きちんと読もう」と書いているのが2008年8月。

いろいろ中断があったりしてうまく思い出せないのだが、
“読破”などしようとせず、初めから一行一行、吟味しつつ丁寧に読もうと思い立ったのは、
たしか今年'08の4月頃だったと思う。約半年かかったか。

思ったより早く読めたような気がする。
しかし、くまなくあまねくこの本を理解したかというと、甚だ怪しい。

又、著者か訳者か判らないが、ちょっとおかしいところも見つけてしまった。
耳の構造と音の関係の部分。
「音程」と「音階」という全く別の概念が混同され、
いつの間にか「和音」にすり替わっている。

このテの思推にありがちなことだ。
強靭な想像力と広範な知識をもってしても、
人間が正確に語れることは少ない。
この本は「水」をテーマに宇宙と地球と自然と人体と魂と霊を、誠実に考察している。
多少ヘンなとこがあっても軽々に批判などできるはずがない。
ゲーテからして「人間は生きている限り迷うものだ」と言っている。
全ては結局、進化の途上にあるのだろう。

そして、この本を丁寧に読んだこと、
この本の内容をたとえ断片的にでも腑に落ちるところまで理解したことは、
私の今生において大きな成果であったろうと思う。

視力が衰える前にもう一度読み込みたい気もするが、
未読の本の山を丁寧に片付けていこう。

次に手に取ったのは、アルセーニー・タルコフスキー詩集。
数ページ読んだ。
親子だから似てるのか、父だから大いに影響を受けて引用をしたのか、
私が映画を集中して観込んでいるから似て見えるのか。
おそらく、その全部。

息子アンドレイ・タルコフスキーが生まれた頃に書かれた、
かつての恋人の死を悼む詩に描かれている、その恋人の姿さえ、
私には、ありありと「鏡」の思い出に登場する「唇が切れる娘」に見えるのだ。

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