数と自然と居場所 

―ハウアーとイッテンを知る。

色彩にしろ音にしろ、ドイツ民族にとって、
数学的思考構造は生命を損なわない。
むしろ育んでいるふしすらある。
日本民族にとって、数学化、数値化は、
非常に多くの場合、死を意味する。

土地の自然が根本から違うからだ。

ドイツの「生の数」と、日本の「死の数」は、
フォルムがそっくりである。
だから、しばしば謎の交歓を生む。
この奇妙な響き合いは、世界が“デジタル化”してから、
一気に加速した感がある。

注意深く自然を排除したグラフィックや、
緻密なコンピューターエラーを引き起こす音の連なりで、
分かり合ってるような誤解しあってるような、
手に手をとって生きているさまは、
傍から見てて、少しうらやましくもあり、
どことなく哀れでもあり、
なんだか不思議な蜜月だなぁと、見ていて思うのだ。

しかし、「ポスト・エレクトロニカ時代」という言葉を雑誌で目にした。
そろそろこの時期も終わりが近いのかもしれない。

私はと言えば、相変わらずだ。
居場所を探すだけの生涯かもしれない。
―私は、静止したまま、安住の地を求めて流浪しているのだ。

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