知る準備 

スクリャービンという方のピアノ曲を聴き、
この方の言葉を読んでいると、
この方は確かに、
何かを知ってしまった人だと思う。

それを知るには十分な魂の準備が必要で、
十分な魂の準備が出来た上で知った人は、
大抵の場合、それを生涯、緘黙するらしい。
十分な魂の準備なしに知ってしまった人は、
狂気と幻想の小径を歩むことになることが多いようだ。
どちらにしても、作品はつまらなくなる。

スクリャービンという人は、
「狂気と幻想」の側に振れてしまった人のようで、
周囲からは煙たがられていたのだそうだ。
しかし、珍しいことに、その音楽は素晴らしい。

その狂気が、真理によって引き起こされていることや、
その音楽が、真理によって自我にひびが入ってしまった人の音楽であることが、
聴いていてよくわかるのだ。

そういうことが私にはよくわかる、ということが、
私にとって何を意味するのかは、
よくわからない。

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