牧神感 

父の遺句集や、父が若い頃に書いた小説などを読んでいる時に感じる質感の中に、自分には理解出来ない、感じ取ることが出来ない何かが含まれているのを感じる時がある。
それは違和感や反感ではなく、そもそも理解出来ない、知らない何かが目の前にあるような感覚、とでも言えばいいだろうか。
「感じとることができない何かを感じている」というのは奇妙な言葉だが、他に表現のしようがない。
そして、これに似た質感をどこかで感じたことがあるのだが、それがなんなのか、長い間思い出せないでいた。

ある日、それをどこで感じるのかに気づいた。
ブルーノ・ワルターという人の音楽。
とりわけ、ベートーベンの「田園」。

で、考えるに、私に感じ取ることが出来ない何か、というのは、

牧神

ではないか、と思うに至った。

そして考え込んだ結果、牧神はもはや人々のもとを去っていったのだろう、と思った。
父の晩年の句に、牛や馬が見えない世の中になったことを嘆く句がある。今にして思えば、父は牧神が去ったことによって、ずいぶんとつらい思いをしたのかもしれない。

そしてさらに考えた結果、
人類はもはや牧神を呼び戻すことができず、
人類は牧神を発見する段階にあるのだ、と思うに至った。

その作業は、私個人の生涯では全く不十分だ。
百年後の人類は、牧神を発見しているだろうか。

そんなことをぼんやりと考えて、夜は更ける。

そういえば、
“夜が更ける”というのがどいういうことなのかも、
人類にはわかりづらくなってきている事に、
みんな気づいているのだろうか。

「夜が更ける」と書くとき、
私はもはや半分くらい、過去の体験を援用している。

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