音響と体質、或いは鏡 

知ってる人は知ってることだけど、
音響的な好みというのは、
ほとんど変えられないと思う。
あれは何か、体質のようなものだと思う。

極端なケースだと、話しているだけでも、薄々解ったりする。
ああ、こういう顔色で、こういう声で、こういう内容を話す人って、こういう周波数がこういう風になってる曲が好きだよな、
だからこういう音楽が好きなんじゃないかな、と。
無論、滅多にないケースだけれど、
そう思ったときには、だいたい当たってる。

稀に、そう思ったのに外れる場合があって、
あれ、この人は自分が思い描いていたのと違う音楽が好きだ、とか思っていて、後日その人の車に乗せて頂いたりすると、
こちらが思い描いた通りの周波数カーブにイコライジングされていたりする。

ミュージシャンであっても、音響の好みはなかなか変更できない。
自分は高域のシャキシャキした音が好きだ、と自覚している方が、
「自分のクセは知ってるから、今回はあえて低音重視で」
と曲を作って、マスタリングしてくれと仰って、ファイルをいただいてみると、ピッキングベースのピック成分が限界まで持ち上げられていて、却って困ったりすることがある。
つまり、ご本人はついつい高域成分を上げてしまうというご自分の特性を自覚なさっていて、それを矯正しようと低音重視の曲を作られたけど、じつは無意識裡に高域を求めてどんどん音をシャキシャキさせていって、ベースのピッキングのパキパキした高域成分まで上げてしまっており、高域をなじませようにも収拾がつかなくなってしまっている。
プロだから、ものすごく色んな種類の音楽を作ろうとする。でも、周波数分布や音量の高低に関する好みは、じつはほとんど変えられない。
そういうものらしい。

批判でもなんでもない。
すっかり変えることができた人を、私は知らない。
なぜそういうことが起こるのか、理由も判らない。
多分、体質のようなものだと思う。

私自身、自分の好みの周波数分布や音量の高低を変えられずに悩んでいる。
たぶんこれ、変えられないよ、と思いながらも、悩んでいる。
そもそも、こういう時代になって、体質を無理やり変えようとしてまで、周波数分布や音量の高低を自分自身に押し付けて、それで得られるものは、そんなに多くはないのではないか。
そんなことを思いながらも、とりあえずは、悩む。

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詳細後日だけれど、いま、
自分がカセットMTRで作ってた頃の作品を、デジタル化しようとしている。
当時、自分が作った音楽の周波数分布をグラフで見るなんてことは、できなかった。

―時間軸上の一瞬ではあるけれど―


―昔の作品なので、聴いてみるのが少し怖かったのだけれど、聴いた以上に、このグラフに驚いた。
そして、カセットMTRで作ったこの音に対して、
加工処理をする必要性を殆ど感じないことに驚く。
私は、いまでも変わらず、(なかば無意識裡に)
この周波数分布を追い求めている。

このグラフが、体質的に治せないということか。
困ったな。
いや、これに対して、もはや困っても困らなくてもあまり状況は変化しない時代になってきたのかもしれない。
だけど、困り続けたほうがなんかいいような気がして。

まぁ、困り続けたほうがいいと思うこと自体、
ある種の不安、ということなのだけれど。

グラフの中の私は、こんなにも変わらずにいるのか。

そうか。困ったな。
いや、困ってないのか。
困ってないことに困ってるのか。
判らなくなってきて困ってきたな。

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