わかり始めてみても 

色彩にはいくつかの見え方があるが、
私にはある種の見え方がよく分からなかった。

「紫色が人に与える落ち着き」とか、
「カンディンスキーは黒がうまい」とか。
こういった話は、
明らかにある一定の色彩の見え方なのだが、
その種の見え方が、忽然とわからないままでいたのだ。

それが、最近、わかるようになってきた。

だが、それがいいことか悪いことかは、わからない。
その種の見え方がわからない、ということが、
私という人間を形づくっていたのだから。

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行きつけの美容院に、
絵画状のオブジェが飾ってある。
色をつけた薄い鉄板を編み上げて、
抽象絵画のように平面にした作品。

何もかもが“像”である美容院という空間、
全てが“装われた”空間の中で、
ある日突然、その鉄板の“実物感”が私の中に入ってきた。
そのとき初めて、
ああ、『もの派』というのはこういうことなのだな、
と実感として理解した。

だが、それがいいことか悪いことかは、わからない。
物質素材を実感として体験しきれない、ということが、
私という人間を形づくっていたのだから。

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何かがわからない苦しみについては、
ゼロの激痛」で書いた。
しかし、美的な何かが分かり始めたとしても、
それによってよりよい音楽が作れるのかというと、
よくわからなくなる。

結局は、塞翁が馬、ということか。

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