孤独デフォルト 

これほどまでに孤独が蔓延する世界で、
なぜ孤独は共有できないのだろう?
と思ったが、
そもそも共有できないもののことを孤独と呼ぶのだと気付いた。
あたりまえのことが、じわじわと分らなくなってくる。

孤独には二種類あるようだ。
不全感を伴うものと、充実感を伴うもの。
英語で言うLonelinessとSolitudeみたいなものだろうか。
ではLonelinessをSolitudeに変化させればいろんなことがうまくいくかというと、
そう簡単でもないことは知っている。
この二つは共存している場合もあるし、
話し相手がいないというのと、
取引先がいないというのを、
同列に考えるのも難しい。
個人の内部ですら、多様な孤独が生成されているのだ。
(経済的孤独が、最も自殺率が高いらしいが)

孤独は、ありふれたものになった。
しかし、それは、共有できない。
これでは毎日毎日、刃物に囲まれて暮らしてるみたいだ。

しかし、「ぼくたちさびしいよね」と寄り集まっても、
私の場合、孤独は解消されないと思う。(解消される方もおられるかもしれないが)

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フリー・インプロヴィゼーションを得意とする人々には、
いまは有利な時代かもしれない。
昨今のフリー・インプロの中には、
かつてのフリー・ジャズとは違う何かが生成されているような気がする。
いま私が感じているインプロへの魅力に対して、
私はどう振舞ったらいいのか、まだよくわからない。

老母に会いに行くと、私の推敲体質は生まれつきのようで、
幼少時の私はずっと言葉を話さず、ある日突然脈絡のある言葉を話したのだそうだ。
多分、覚えたての言葉を、頭の中で推敲していたのだろう。

インプロヴィゼーションについては、
我が運命のメニューに入っているかどうかよくわからないことだし、
今しばらくは自宅で暗中模索することとする。

フリー・インプロヴァイザーの方々にお会いして時折感じる、
あの愕然たる魂の質の違いも、
いつの日か取り付く島がみつかるのかもしれない。

ノヴァーリスも書いていたが、
全てのはじまりは、たどたどしい。

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しかし、
全ての問題の根源は、きっと、別の場所にある。

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坐禅をしていてしばしば思うのは、
時間の区切れということ。
リセットとは違う。
時間を明確に区切ることで、
人は確かに、少し、変化する。
これは坐禅の目的でも本質でもないだろうが、
坐禅の功徳の一つだろうと思う。

脈絡なく書いていると思わないで頂きたい。
時間の、区切れ。
これが、何か重要なヒントを誘発するような気がするのだ。

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