成長後の不思議 

> 私自身、20世紀の頃は、
 あらゆる盲目的信仰、集合意識、
 無自覚な常識、不毛な原理主義、
 自己目的化したアンチテーゼ、
 そういったもの全てが壊れれば、
 おのずと道は拓ける、
 そう思っていた節がある。
 
 が、実際に壊れてみると、
 そうでもないらしい。


――いま自分のホームページを開いてみたら、
このような文章を書いたのが、
2003年であった。

今読み返してみると、もはや、ここに書かれている、
“壊れたもの全て”が、
ものによっては、何が壊れたのかすら思い浮かべづらくなってきている気がする。
それほどまでに、たくさんのものが、深く、壊れた。

今になって、“壊れたもの全て”とは何かと考えるに、
広い意味での「成長」ではなかったかと思う。

「成長よ、早く止まってくれ。
その場所から、掘り下げるから。」

そう思って生きてきたが、何かがおかしい。
成長が止まると、何かが劣化し始めることが多いらしいのだ。

CD以上の音質を不特定多数の人が追究するか?
そうは思えない。(と当時の私は思った。)
ならばCDがきっと最も一般的な音質であり、
44.1KHz/16bitの枠内に心血を注げばいいのだろう、
そう思っていたら、
人々が聴く音質は、思い描いていたよりもどんどん下がっている。
特に、DAコンバータ~アンプ~スピーカーという終段の回路・部品の劣化衰退はすさまじく、
30年前のAMラジオのほうがまだ可愛げがあった、と思うくらいひどい音の装置が店頭にずらりと並ぶ。
SACDなど、高音質なものも出てはいるけれど、
概ねCDで「成長」は完了したようにも思える。
それならそれで「維持」すれば良さそうなものだが、
なぜか、そこから“劣化”が始まる。
作り手はCDの盤質劣化との闘いすら強いられるところまで来たし、
聴き手は口径5cmのスピーカーで「なんか低音が出ないんですよ」と不思議がる人が普通にいるところにまで来た。(口径5cm筐体10cmのスピーカーからは、重低音は、原理的に出ない。)

コンピューターにしてもそうだ。
“CPUの演算が速ければ速いほど優れているのだ”、
とパソコンの進化が爆走しているときに、私は、
「速度の追究がひと段落すれば、内容をじっくり掘り下げることができる時代が来るに違いない」
と思っていたふしがある。
だが、CPUの高速化がひと段落しても、
内容をじっくり掘り下げる時代は来ない。
なぜ来ないのか、私にはよくわからない。

「成長」が止まれば、そこで「維持」して「掘り下げ」ればよかろう、
そう思うのだが、
なぜか、維持できずに「劣化」が始まってしまう。
その仕組みが、私にはよく解らない。

ピアノは進化が概ね止まってるらしいが、
劣化したという話はあまり聞いたことがない。
(大きな木板が手に入らなくなってるとは聞くけれど。)
落語だって、新作がないから劣化の一途、という話は聞いたことがない。
維持されるものと劣化していくものの違いが、よく解らない。

どうやら、経済学や社会学に明るい人にとっては、
けっこう解りやすいことらしいのだけれど、
なぜ成長が終わったら維持が始まらずに劣化が始まるのか、
私には、よく解らない。

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ついでに言えば、
“壊れたもの”がどこへ行ったのか、
それすらよく解らない。
「男のくせに丸坊主じゃないなんて!!」
とうろたえていた大人たちはどこへ行ったのか。
「会社員じゃない?それはなぁ、プータローってんだよ。
プータローってのは、無職のことなんだよ。
無職ってのは、クズのことなんだよ。」
と笑っていた職質警官たちはどこへ行ったのか。
「オラ切符出せキップっ!出せ!」
と凄んでいた車掌たちはどこへ行ったのか。
「平日の昼間に背広着てない男が歩いてる!」
と110番していた主婦たちは、どこへ行ったのか。
みんな、まだ、社会のどこかで、暮らしているはずだ。
たかだか10年前、20年前、30年前に「不特定多数」、「圧倒的多数」だったこれらの人々に、私は、当時なにを思っていたのか、今はどう思っているのか、尋ねてみたいと思う。

彼らは今、どこにいるのだろう。
そして、何を思って、暮らしているのだろう。

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