わかる 

神に裏切られた人間が暴れだす場合と、
神に裏切られた人間が働きだす場合。
どちらが異常かといえば働きだす場合に決まってるが、
20世紀半ばの日本では、それが起った。
そのことは、20世紀末の神戸において暴動が起きなかったことと、同根である。

宗教と労働が入り混じる特殊な民族。
それを論じた人物も、もはや鬼籍に入ってしまった。

本当の裏切りを経験したことのない人間もいる。
そういう人間がどれほどいて、
どれほどの人間がほんとうの裏切りを経験しないで生涯を終えるのか、
私は知らない。

自我が破壊されるまで、裏切りは続く。
自我が破壊された時、裏切られた者にとって、裏切りは、終わらないものとなる。

健康とは、暴力である。
暴力が、永遠の不健康を生み出す。
永遠の不健康は、光である。
つまり、宇宙が「光あれ」と始まったそもそもの始まりから、
裏切りは始まっているともいえるし、
「光は闇の中で輝いていた。闇はこれに気付かなかった」
というときの「闇」とは、健康のことだともいえる。

暴力も不健康も、私は、肯定しない。
しかし、暴力と不健康が、宇宙と世界と社会を動かしている。
それを実感として完全に体験すること、
すなわち自我が破壊される経験は、どうやらかなりの人々に、
「わかる」
と呼ばれている。
大人になる、ということでもあるし、
人であることをやめる、ということでもある。

人であることをやめることと大人になることが同じである状態というのは、言葉で説明すると矛盾してしまうので、言葉で論理的に説明されることはほとんどないし、言葉で論理的に説明されても、自我が破壊された経験がない人には、判らない。
なので、ほとんどの場合、
「わかる」
とのみ呼ばれる。

「いつかわかる日が来る」
などと言われるとほんとうに腹が立つものだが、
わかる日が来るとは、限らない。
わからないまま生涯を閉じる人も沢山おられるし、
それが不幸なこととは、思わない。
それに、比較的若いうちに「わかって」しまった人は、
往々にして、不幸にも見える。

20世紀後半の日本は、人々のほとんどが、
「わかりたくないから」発展したのかもしれない。

暴力も不健康も、私は肯定しない。
むしろ激しく、憎む。
このように、平和のための戦争は、
個人の内面でもやむことはない。

これは、悪ふざけではない。

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