ノイズはノイズかのメタ音楽的側面 

ノイズとは何か、という場合、
音楽だと大きく2種類に分けて考えることが多い。
・音程をもたない音。
・好ましくない音。
ノイズを音程をもたない音(もしくは音程が重視されない音)と考えた場合、スネアもシンバルもノイズだということになる。音楽に取り入れられて全く問題ない。ノイズミュージックのみならず、ドラムループのようなものも、ノイズのみで成立している音楽と呼びうる。
ノイズを好ましくない音と考えた場合、ノイズは音楽を邪魔する音、ということになる。モーツァルトを聴いてるコンサート会場で、誰かの携帯からバッハの着メロが鳴り出したなら、その時、それは、ノイズである。
大まかに言ってこの2つがノイズと呼ばれるわけだけれど、その中間地帯のノイズもないわけではない。
アナログテープのヒスノイズや、アナログレコードのトレースノイズなどである。
それはある種の人にとっては「好ましくない音」であり、どれほど低下させることができるかに心血が注がれる。
またある種の人にとっては「楽曲の一部」であり、それが混じっていないことが「つまらない」と感じられる。
これは作り手にとっても同じことで、アナログレコードのノイズをCDに入れたり、アナログテープのヒスノイズを利用して音を作ったりすることは、特に珍しいことではない。
いわば、「好ましくない音」を利用して「好ましい音」を作るのだ。
この、「好ましくない音(ノイズ)」を利用して「好ましい音(ノイズ)」を作る衝動の極端なものというべきか、はたまたそれともまた別種の衝動というべきか、
「思いもよらない音を出したい」
とでもいうような衝動も、存在する。
「自分では想像もしていなかった音を出したい」という衝動。
「ノイズ」の語源を「あたらしきもの」だとする説などを使って説明される衝動だ。
そういう衝動の強い人は、ある種の「永久運動」のような状態に入る場合が多い。
どういうことかというと、
「自分では想像もしていなかったような音を出したい」と思って、
「自分では想像もしていなかったような音」が出たら、
それはつまり「思いどおりの音が出た」ことになるわけである。
「思い通りに、思いもよらない音が出てしまった。これでは思ったままじゃないか。ああ、思いもよらない音を出したい」
という半永久的な衝動。
この、「思いもよらない音を思い通りに出したい」という衝動にまつわる様々な問題は、ある種の音楽家/芸術家の間では、おなじみの問題である。明快に言語化された回答は、私の知る限り、まだ出ていない。
永久に思いがけない音を求め続ける人が、往々にして似たような音しか出さなくなってくるように聴こえてしまう問題についても、汎用されうる回答を、私は知らない。

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とあるコンピューター・プログラマー氏と話をしていて、
そのプログラマー氏が、「ノイズ」という言葉を口にした。
「ツイッターやRSSリーダーにおけるノイズ」
というような文脈である。
RSSリーダーやツイッターを使っていて、
自分が読みたくない記事や、自分にとって意味のないつぶやきのことを、
「ノイズ」と呼んでおられる。
聞いてみると、その言葉の使いかたは、プログラマーの間では一般的らしい。
「自分はRSSにいっぱいブログを登録してるからノイズが多めだ」とか、
「ツイッターの中から『おなかすいた』とかいう無意味なノイズをより分けて、『新しい基板が発売された』といった信号を読み取る」とか、
そういう言葉の使い方らしい。
その後、「自分にとって必要な情報ばかり摂取していると、知識や世界観がどんどん偏っていってしまう」という話になった。
すると、「そういう偏りを避けるために、メジャーなニュースアカウントなどもツイッターでフォローして、不要な情報も摂取するようにしている」とのこと。
そこで、ためしに、訊いてみた。
「自分が欲していない情報をノイズと呼ぶとして、
自分が欲していない情報を意図的に摂取して、
自分が欲するとおりに、自分が欲していない情報を摂取したら、
それは、ノイズなのでしょうか?」
プログラマー氏、ニコーッと笑って、
「するどいことききますねぇ。」
と仰せであった。
ノイズを欲したらそれはノイズなのか、
欲さないものを欲したらそれは欲したものなのか、という問題は、
芸術以外の分野では、けっこう新鮮な問題であるらしい。

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「思ってもいないことを欲する」というのは、
神秘学でいったらたぶん「ミカエル衝動」というのが一番近くて、
場合によっては「意識魂」とか、
あるいは学派によっては「水星作用」とかいうのかもしれない。
即興を始めた私にとっても、これから大きな問題になっていくのだろう。

上記プログラマー氏が言う場合のノイズについてあらためて考えてみると、
この場合はむしろ、ミカエル衝動の緩衝材ともとれる。
内と外というか、どこに自我を置くかという問題。
私の知る限り、答えはまだ、見つかっていない。

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