独り言を利用された話 

一番忙しい時期は抜けた。
だが、体調がなかなか戻らない。

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非公式に、ツイッターをしている。
主な用途は、くだらないつぶやきと、情報収集。
とくに情報収集という点において、ツイッターはかなり優れているというか、
独特な“情報圏”とでもいうものを持っており、
原発の問題から敬愛する音楽家の動向、
アナログシンセを手作りしている人の情報交換から近所の店の特売まで、
全く独自の情報網を気軽に構築することができる。
最初のうちは煩わしいかと思っていたが、
煩わしければフォローをはずせばいいだけだし、
フォローをはずすことを不道徳と怒る人も差し当たっていないので、
想像していたほどには煩わしくもない。
そのうち、きちんと名乗って、公式化しようかと思っていたが、
なんだかちょっと、むずかしくなった。
過日、炎上寸前の目に遭ったのである。

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元はといえば、全くさりげなく、なにげなく、
とある芸術集団について、やや批判的なことを舟沢がつぶやいたことが発端である。
別にその程度――自分がつぶやいた程度――の批判はネット上にいくらでもあるし、
匿名掲示板にでも行けば遥かに凄まじい罵詈雑言が堆積しているので、
自分がそれほど酷いことをつぶやいたとは、今でも思っていない。
(不注意だったとは思っている。)
だいいち、ハッシュタグも「@」も使ってない、全くのつぶやきであるし、
私をフォローしている人にその芸術集団の関係者もいない。
だから、全く気を遣わずに、つぶやいた。

だが、つぶやいた直後から、リツイートがはじまった。
自分のフォロワーがリツイートしているのは理解できるが、
大手の芸術系Webマガジンの公式アカウントや、
果てはその芸術集団の公式アカウントまでが、
私の「なにげない批判的なひとりごと」をリツイートし始めた。
リツイートしたアカウントをフォローしている人を足してみたら、
私のなにげなーい批判的な独り言が、
1万人以上の目に触れたことになる。

その芸術集団の主宰は「なんにもわかっていない」と激怒したし、
その芸術集団の公式アカウントから、いくつかに分けられた長文の反論が@で届いた。
こちらとしては、
・反論としてそちらが提示している事柄は殆どこちらも知っていることであること
・こちらはハッシュタグも@も使っていないつぶやきをしたにすぎないこと
をつたえた。そしたら批判はとりあえず止まった。

が、慄然としたのは、1万人以上の人々の「なにげない無関心や悪意」を、
利用する人々の存在である。
こちらはなにげない独り言で批判的な言葉をつぶやいただけなのだから、
無視すればいいじゃないかと思うのだが、
なぜわざわざ数千、のべ一万以上のフォロワーに向けて、
自分たち(=その芸術集団やその特集を組むWebマガジン)に不利なリツイートしたのか。
それらのアカウントを調べてみると、私の独り言をリツイートした直後に、
「面と向かって言え!!○月○日」
「挑んでみろ!!場所は○○」

などとツイートし、トークイベントやフェスに誘導しているのだ。
つまり、批判を拡声器で流して、人々の注意を引き、場を盛り上げ、扇動して、
商業につなげていく手法なのである。
ハッシュタグも何もついていない私のつぶやきは、
ツイッター内部のキーワード検索で、彼らがわざわざ扇動のために見つけ出したのだろう。
彼らのフォロワーたちにとっては、
「オレそんなつもりでつぶやいてないよ」なんて言葉が、通用するはずもない。
1万人以上の人にとっては、私の言葉がタイムライン上に唐突に現れて、
「イラッとした」という印象のみが残るだろう。そして、それが全てであろう。
要は、不注意な言葉を掴み取られ、弄ばれ、いいように商用に利用されたのである。
私は、1万人以上の圧倒的な無関心や脊髄反射的な怒りを経験した。
匿名ツイッターといいながら、自分のHPにはリンクしていたのだけれど、
それもはずした。(はずす前に、20人ほど私のページを見に来た記録が残っている)
中には、私を恨む人も現れたことだろう。

虚空に向かってつぶやいているつもりであっても、
いつも誰かが火に油を注ごう、利用しようと身構えていて、
そう身構えている人々には節操とか善悪とか全く通用しないし、
それを見ている人にとっても、
買わないスポーツ新聞の見出しを通りすがりに見た程度のことでしかない、
それでも反発はしっかりやってくる、
という経験をした。

これは数週間前の出来事なのだが、
この、「圧倒的な無関心にまんまと利用され、責任を取らされる」というプロセスを、
骨身に沁みて経験させられたことは、私にとって意外と大きな出来事であったようで、
いまでも魂が快復していない。
いや、私は「分らされた」「知った」のであって、
快復など、この先ずっと、ないのかもしれない。

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厭世観など無意味だという経験と、
厭世観が深まっていく実感の、
両方を経験していくこと。
人生とは、そういうものかもしれない。
そんな思いも、ふとよぎる。

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