開かれた閉鎖 

開かれた閉鎖空間は、どうしたら可能になるだろう。
空間を開けば、そこでうまく振舞えない人々も入り込む余地が現れる。
うまく振舞えない人々が現れるために、空間は、閉鎖される。
しかし人は、閉鎖空間で、徐々に、硬化する。

充分に多様な均質性は、どうすれば出現するだろう。
多様性はある臨界点を超えると均質性に変化し、
均質性は画一性に変容する。
そして画一性から逃れるために、多様性が求められる。

誰でも入れる至聖室。
人はそこで、その場所が至聖室であることに気付けるだろうか。
そして、そこに入るすべての人が、至聖室の一員として振る舞える状態は、
どうすれば出現しうるのだろうか。

こういった問題は世界中どこにでも存在するが、
来たる10/16のライブも、そういった問題に対する試みの一環である。
今までもそうではあったが、
今回は準備プロセスにおいてすら、
かなりの多様性をどうにかシンプルに収めながら、
自由を保ちつつも、実直に“元型”としての音を出現させようと、
自らの内面はもちろん、他者とのコミュニケーションから配線計画にいたるまで、
矛盾を統合しようと悪戦苦闘の日々である。

わが禅師に伺ってみたところ、
「拡げれば浅くなる。狭めれば深まる。
しかし裾野が広ければ高いということもある。
そういうのは呼吸のようなもので、
そもそもそれでいいのではないか」

と仰せであった。

多様かつ一様に、
なるべく社交的にがんばりながら、
がんばってなるべく引きこもりつつ、
機材を買い足しつつ、機材を減らしつつ、
舟沢、鋭意、準備・研鑽中でございます。

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