気をつけの姿勢 

いたずらをした子が教壇に立たされ、うつむいている。
私を含むクラス全員が、「連帯責任」として、机の横に正座させられている。
うつむいている生徒を、猛烈な威圧感で、先生が見下ろしている。
緊迫した静寂が続く。
やがて、うつむいた子に向かって、先生が口を開く。
「気をつけの姿勢で先生を見ることすらできない‥」
次の瞬間「あ゛ん!?」とでもいうような怒りの嗚咽を発した先生が、
いたずらをした子の髪をわしづかみにして、
教室中を引きずりまわす。

――そんな先生、よくいましたよねぇ、
という思い出話をしてみて、
「いたいた。」と同意する人は、
社会に出てから数十年で、数人しかいなかった。

自分があたりまえのように受けた教育は、
それほどあたりまえではなかったのかもしれない。
そう思って、記憶を辿ってみたり、時折は調べてみたりもする。
すると、自分が育った地域が、
旧日本軍の強い影響下にあったらしいことがわかる。
私は、自衛隊専用の住居を並べた広大な区画の、
脇に建った非常に小さな家で幼少時を過ごした。
近所には自衛隊の駐屯地があり、
クラスにはたくさんの「おうちが自衛隊の子」がいた。
ネットで調べたり、郷土資料館のような場所に行ってみたりすると、
自分が通った小学校、中学校、高校までもが、
旧日本陸軍の「教育隊」という存在が前身であったか、
旧陸軍演習場跡地に設立されたかであった。

私はどうやら、旧日本陸軍の影響が強く残った教育を受けたらしい。

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私は、かなりひどい喘息であった。
小学校時代からしばしば、平日でも自分一人で病院に行き、薬をもらい、
数時限遅れて、昼前に学校に行ったりしていた。

上記のような土地柄、上記のような教育状況、上記のような地域社会で、
平日の昼間に通学路以外の道を小学生が歩いているのは、
かなり異常なことであったらしい。
私はしばしば、病院の行き帰り、見知らぬ大人に咎められた。
「おいボウズ!学校はどうしたっ!」
そのつど、私は、大人に向かって、気をつけの姿勢で叫んだ。
「はいっ!いま病院に行って、薬をもらって、それから学校に行くのです!」
大人たちは、「そうか、行け。」と許してくれた。

自分がどのようにして「気をつけの姿勢で旧日本軍の伝令のように叫ぶ」ことを覚えたのか、
もはや思い出すことができない。
学校とは、大人とは、社会とは概ねそのように接するものなのだと、
すでに小学校高学年で、“自明のこと”として身につけていた。

そして、喘息のせいか、性格なども関係しているのか、
休み時間などに、クラスの輪の中で“そうではないコミュニケーション法”を、
それほど身につけずに育ってしまった気がする。

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小学校、中学校、高校とそのような教育を受けて、
大学に入って状況が一変し、社会に出たらさらに状況が一変した。
小学校、中学校、高校と“自明のこと”として教育されていた、
「気をつけの姿勢で自分が置かれている状況を誠実に叫ぶ」コミュニケーション法は、
どこに行っても、あまり使い道がなかった。

受けた教育が役に立たなくなって、長い長い年月が過ぎた。
それでも時折、自分の奥底に、
「気をつけの姿勢で誠実に絶叫しようと身構えている自分」が潜んでいることに、
気が付くことがある。
逆に言えば、
「気をつけの姿勢で誠実に叫ぶことだけが、常に適切な方法だとは限らないのだ」
と、常日頃自分に言いきかせながら暮らしていることに気付くことがあるのだ。

その「育った自分」が、年とともに少しづつほぐれ、寛解していくものなのかどうか、
今もって、よくわからない。
育った状況をすっかり忘れてしまう人もいる。
育った環境を笑い話に変えてしまう人もいる。
しかし、周囲も忘れ、恐らくは本人も忘れているような古い民謡が、
飲酒などによって口からとめどなく噴き出てきてしまうようなケースも目にすることがある

いずれにせよ、受けてしまった教育とは、生涯付き合っていかなければならないのだろう。
大人になってからの“自己教育”は、尽きることがない。

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最近、当時の先生方を思い出すにつけ、
「あれが当時の先生方の限界だったのだろう」
と思うようになってきた。
中学時代、あれは学年主任だったろうか、年配の先生の話を覚えている。
戦時中、空襲でそこらじゅう死体だらけになったこと、
焼死体を山のように集めてまとめて火葬したこと、
すると肉が収縮して燃えている死体の山がうごめくことなどを、
ありありと生徒の前で描写して、
「B-29に竹槍じゃぁ勝てねぇんだっ!」
と渾身で叫んでおられた。
(当時の私は、それを渾身で聴いた。)
今にして思えば、その先生は、
精神力をもってすれば爆撃機B-29に竹槍で勝てるのだと、
子供のころに渾身で教わった方だったのだろう。

「個性を大切にする教育」を受けたら、自分はどう育っただろう。
「ゆとり教育」を受けたら、自分はどう育っただろう。
「発達障害支援教育」を受けたら、自分はどう育っただろう。
(自分は発達障害という診断を受けたわけではないけれど。)
これらは、もちろん、わからない。
わからないが、時代時代で、大人たちは、それなりの“限界”で教えているものだ。
これ以上は無理だ、という限界で。
明治時代には、小学校に入学してひらがなを教わることだって、それほどあたりまえではなかったのだ。
近代教育初期の教師達は、自分が知らないことすら教えなければならなかったはずだ。
その時代、その地域の教育を受けるということは、
その時代、その地域の“無知”や“誤解”や、“病”すら吸い込むことにほかならない。
そしてそれらとは、生涯自己教育しつつ、付き合っていかなければならない。
無知や誤解や病を、自力で少しずつ減らしていくことが、自分以外への教育にもつながるのかもしれない。

自己教育以外の“教育”ということに関して、私はほとんど語るべき言葉を持たない。
今の若い人に向かって、
「気をつけの姿勢で叫ぶだけがコミュニケーションじゃないんだっ!」
と気をつけの姿勢で叫んだところで、かつて私が「B-29に竹槍じゃぁ勝てねぇんだっ!」と叫ばれたことと似たり寄ったりだろう。
教育内容のみならず、教育方針も刻々と進化し、更新されていく中で、教職でもなければ人の親でもない私が、教育について立派な意見など持っているはずもない。

ただ、それでも、若い人々に、「あなたがたはそれほどひどくはないはずだ」と言いたくなることがある。
地域や学校や末端の教師がどれほど理解したか、そこに誤解はなかったかという問題はあるけれど、
「個性を大切にする教育」や「ゆとりのある教育」は、
「気をつけの姿勢で叫び声を上げさせる教育」より、少しましである気がしてならない。
国が教育を主導する状況が永続的なものかどうかは知らないが、
教育もまた、半永久的なアップデートの途上にあるのだ。
「あの教育方針で育った若いやつはダメだ」といった大人の言葉を耳にすると、
ヴァージョンの古い教育を受けた人間が何を言っとるか、
あなたがたまたま運良くいい地域やいい学校から教育を受けただけなんじゃないのか、
そう言いたくなってしまう。

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まぁ、「四十五十は洟垂れ小僧」とも言うし、
「老いては子に従え」という諺もある。

「私も一生、自己教育し続ける所存ですので、
色んな年齢の色んな皆様も、どうかそれぞれにご自愛くださいませ。」

というようなことを言いたかったのであります。
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追記:
最近、非公式にやっているTwitterに、
気をつけの姿勢は日本の国民病だ
という趣旨の記事が回ってきました。
私のケースとどの程度かぶっているか分かりませんが、
「気をつけの姿勢は体によくない」という説があることを知ったことが、
この文章を書くきっかけとなりましたので、ここに追記しておきます。

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