映画と経験 

「鏡」という映画がある。
監督はA・タルコフスキー。1975年。
ある程度以上の世代の映画好きはだいたいみんな知ってるし、
ある程度若い世代の映画好きはだいたいみんな知らない、
難解で有名な映画。

この映画の「印刷所」のシーンについては、
かなり早くから、
「当時は印刷物に誤植が出てしまうと、
その文章に異議を持っている人物がわざと誤植したのではないか、
ひいては検閲自体、政府自体に異議を持つ人間なのではないか、
という嫌疑がかかる程に厳しい時代であった」
ということが、各種書籍に紹介されていた。
なるほど、誤植が命に関わると思って見れば、
あのシーンの「誤植したかもしれない」という緊迫の意味は解る。

その印刷所のシーンの終盤、印刷所の女性二人が喧嘩するシーンが、
当時の私には、わからなかった。

何度か見て、考えて、当時の私は、
「これは不条理劇の一種だろう」
と思うに到った。
確かJ-L・ゴダールだったと思うが、
ストーリーの時系列をシャッフルして、
役者さんにシャッフルした状態で演技してもらい、
それを長回しのワンショットで撮るシーンがあった。
(うろおぼえです)
それと同様に、役者さんに、何らかの手法で、
何か不可解な演技をしてもらっているのだろう、
などと思っていた。
人間があんなに急にわけの解らない喧嘩を始めるわけがないし、
あんなに急に感情が冷めるわけがないし、
あれほどの喧嘩をしたあとに、スキップして去っていくわけが無い。

あれから数十年経って、思う。
わけがない、というわけではない。
あれは、不条理なイメージのシーンではない。

人間同士には、ああいうことが、よくあるものなのだ。

こんなことが解るようになるのに、
私は数十年の人生経験を要した。
もうとっくに、タルコフスキー監督が「鏡」を撮った当時より年上である。
お恥ずかしい限りである。

が、わかるようになったということは、進化したということでもある。
過日、たまたま時間があって、レンタルビデオ店に入ったら、
難解で有名なM・アントニオーニ監督の「欲望」があり、
見ればなるほど、これはだいぶわかる。
これは、当時に見ていたらわからなかっただろう。

20世紀は、「わかりにくい映画をがんばって見る」ことの多い時代だった。
当時何度も見て、わかるようになった映画もあるし、
わからない、という思いだけが残った映画もある。

今、この年齢になって見れば、
当時わからなかった映画もわかるのではないか。
そう思うのだが、昔の難しい映画を探し出して、
じっくり見る時間は、なかなか取れるものではない。

当時、盛んに映画館に行って、
ほとんどわからなかった映画というと、
私の場合、ルイス・ブニュエルという監督になる。
当時わからなかった「忘れられた人々」「小間使いの日記」など、
見る時間と、機会を窺っている。

映画、というか芸術を理解するには、
それ相応の人生経験も必要なのだという、
ある意味では当たり前の事実。
読書と同じ。年齢で読み取れるものがどんどん変わっていくのだ。
(音楽は‥‥どうだろう)

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