メンタル道祖神 

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残されている芸術というのは、
おしなべて、メンタル道祖神とでもいうべき性質を持つ。
見知らぬ土地で道祖神に会う。
それは人が通った証しであり、
そこを通る人を見守る意思の現れであり、
そこが何らかの意味のある地点であることを示している。
それを伝えるために誰かがそれを作り、その場所に配置した。

魂の深奥に於いても、そういうことは可能である。
かつて、自分以外にも、そのような状態を経験した人間が、いる。
それはこのような場所であり、この先にはああいうものがあり、
この横にはこういうものがある。
そう、見る者、聴く者に伝えるもの。

ある種の芸術は、このために存在している。

ところが、人間(達)の内面は、まるで地図のように、
作った本人が考えるよりも、
かなり速く、かなり大きく、変化する。
ほんの数十年で、ある道はなくなり、別の道ができ、
ある場所はそれほど危険ではなくなり、
孤独な道は人で賑わいはじめる。

道祖神の意味は、一旦失われる。

そうなると道祖神は、存在をやめることもできず、
どこかにまとめられることになる。
もはや道に迷った人に道を示す役割は終わった。
あとは数百年、数千年の年月をかけ、
ただ朽ちていくのを待つのみ、だろうか。

道にまとめられた、
役割を終えた道祖神を見ていて、
これには何か、別の意味があるのではないか、
あるいは、別の意味を与えなければならないのではないか
という思いがよぎる。

それは、おそらく、
人間の完成と深い関わりを持つ。

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