思考の断片:2017前半 

色彩というのは、あれは光が苦しんでいる姿なのだ、という考えと、
私たちはなぜ、この世で目覚めれば目覚めるほど、
分かり合えなくなっていくのか、という考えは、
どこかで必ず繋がっている。

一なるものが離散し、ゆくゆくは再統合される。
再統合が帰還ではない、というのはようやく実感できるようになってきたが、
再統合後も、孤独は果てしなく深まっていくものなのかもしれない。
(あるいは、少し、違うのかもしれない)

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タロットカードの「隠者」が持つランプ、
ゲーテ「緑の姫」に出てくるランプの老人、
あのランプは、何だろう。
新約聖書の「荒野の誘惑」で、
イエスが悪魔に対して「書いてある」と反論している、
あの「書いてある何か」と、関係があるのだろうか。
或いは、この胸に灯った、信じられないほど弱々しい、
この頼りない光と、何か関係があるのだろうか。

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奪われたものは計り知れないが、
いただきものも計り知れない人生だ。
そう思うことが多くなってきた。

奪われたものと、贈られたものとの間には、
何か、関係があるのだろうか。
(奪われたものを取り返そうとしたら、
奪われたものとの関係を到底見通すことができない、
あまたの贈り物もまた、失われてしまうのだろうか。)


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近年私をしばしば襲う、
「ああ、そうであったのか」
という悲しみを伴う判断は、
錬金術で言う「赤化」に近い何かだろう、と感じる。
この判断は、ある種の、非常に低次の「悟り」なのか、
或いは「今生では悟れなかったのだ」、という悟りなのか。

ブレンターノの言う意味での「判断」、
少なくともその端緒にはついたのかもしれない、という考えと、
弱々しい老賢者のランプのイメージを重ねると、
もろもろ近いような気もするし、それぞれ全く別なような気もする。
切断の残滓としての極限の自我。その覚醒からの、統合。

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体系化されそうになったら、
ニーチェ的リセット。
星座を読むには、まだ、星が、揃っていない。
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こういうことを、今年前半は考えていました。
(他にも考えていることがありますが、今回は割愛します。)
知ったようなことを書いていますが、
本を読み返す時間も視力もほとんど残っていませんし、
理論武装のために「この書物にこういうことが書いてあった」、
と調べ上げて援用しつつ体系化しておくのも、
もはや自分のすべきこととは感じなくなりつつあります。
こういう文章は、実体験を手持ちの知識で合間合間に言語化しているだけですので、
まあ、舟沢の脳裏で延々と起きていることの、
断片が書いてある、という程度に受け取って下さい。

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