骨、殻、或いは灰 



このような時代の 巨大な河口に いる らしい
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以下、長めの蛇足。

この写真は、「夜の彼岸」初回プレスのライナーノートの背景に使用した写真と、同時に撮られた1枚。
(ライナーノートの背景では、白い紙のかすかな文様として薄く印刷されている)

「夜の彼岸」発表は2009年。写真は2007年頃に撮ったように思う。
この当時から延々と、今も常に脳裏にあり続ける、この白いビジョンは何なのか。
果てしなく続く細かい骨、或いは貝殻、あるいは灰のようにも見えるが、
何らかの具象物かどうかも定かではない、予感のような、白いヴィジョン。
(写真は貝殻でできた浜辺ですが)

軽々に判断したり、安易に言語化したりして、イメージの流産を避けるのが常ではあるが、
「夜の彼岸」初回プレスのデザインをしている最中は、
これは自分の身に始まった、個人的な老化現象がヴィジョン化しているのかもしれない、と思うこともあった。
(実際、それも混じっているかもしれない)

そうこうしているうちに、都心で完成された新しい巨大建造物のなかに、
似たような白いヴィジョンを認めるようになってきて、
「これは何なんだろう?」と訝しがっていた。

さらに、TVのドキュメンタリー番組で、無縁仏として処分されていく、
大量の細かい人骨を見たときも、同じヴィジョンを認めていた。

つまり、画像自体は白っぽいが、このヴィジョンは明るくも暗くもないのだ。

さらに数日前、いま東京で行われている大規模再開発のドキュメンタリー番組で、
新しい埋立地の地面となっていく、大量のごみ焼却灰を見たとき、
これもまた、十年来私の脳裏にあり続けているヴィジョンと同じものだ、という思いがあった。

さらに言えば、近年、私は、アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「サクリファイス」のことを、よく考える。
洗い物をしているときなど、最近はほとんど毎回、この映画のラストの意味を考えている状態だ。

「サクリファイス」の公開は1986年だが、
あのラストは21世紀の“私たち”を描いたものに思えてならない。
人々を結び付けていた家が燃え、人々は思い思いに、離散していく。
そして、枯れた木の周囲が、激しく光に覆われていく。

ここに白のイメージはあるが、特に骨、殻、灰のような具象物は見当たらない。
にもかかわらず、私は自分の抱えるヴィジョンと、この映画のラストに、
何らかの共通点があるように思えてならないのだ。

骨、殻、灰、未来、死、大量、明るくも暗くもない、“何か”。
それがあまりにも巨大すぎて、見通すことのできない“何か”。

19世紀末~20世紀初頭の芸術家たちは、その嵐のようなヴィジョンを、
来るべき機械文明とも、ましてや世界大戦とも、結び付けていたわけではなかった、
ただただ、「何か来る」というヴィジョンを描いていたのだ、と聞いたことがある。

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なんだか断片的で、悔しいといえば悔しいですが、
この白いヴィジョンもまた、巨大すぎて個人では見通しきれない、
21世紀の中心にある何かだ、という気がしてならないのです。

10年ぐらい考え続けてもうまく言葉にならないので、
1枚の写真と1行の詩と、
この、書いた方がいいのか書かない方がいいのかわからない長い蛇足にして、
ここに公開しておきます。

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