なんとなくみすぼらしい叡智 

長く生きていれば、人生には、
物語としてはつじつまの合わない出来事が、
いくつか生じてくる。
人生は、一編の物語とは、かなり違うもののようだ。

つじつまの合わない状況下で、気づいたことがある。
「自分に嘘をつくことは、
自分以外のすべての人に嘘をつくことにつながり、
自分以外の誰かに嘘をつくことは、
自分に嘘をつくことにつながる」
ということだ。

当たり前といえば当たり前だが、
不思議といえばこんなに不思議なことはないし、
簡単といえば簡単だが、
難しいといえばこんなに難しいことがあるのか、と思う。

嘘をつくのが非常に難しい性格がこの困難な状況を作り出しているようにも思えるし、
嘘をつくのが非常に難しい性格だからこの程度で済んでいるのだろう、
これが嘘をつける人だったらどうしようもない状況になっているだろう、とも思う。

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私が若い頃には「自分探し」という言葉もなかったので、
「若い人がはまり込む自分探しの罠」みたいな話は、
私にはよく分からないのだが、
少なくとも「自分が思う自分らしさ」というのは、
「本当の自分」よりも必ず、少し小さい。
「こうするのは自分らしい」とか、
「こういうことをするのは自分らしくない」とか、
そういう判断をしている時点でもう、
少し、或いはかなり、自分を狭くしている。
自分とは似ても似つかぬ怪物が夢に出てきたって、
それは自分の無意識が作り出しているのだから、
自分の一部に統合できるはずだし、
好きになれない人だって、
自分は好きになれない、
と自分で決めつけているだけかもしれないわけだから。

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だが、そうは言っても、長く生きていれば、
“到底受け入れられない状況”
はやってくるし、
“絶対に受け入れてはならないもの”
だって、人生には侵入してくる。

そういう状況下では、
「こうすればこっちに対して嘘になるし、
こうすればあっちに対して嘘になる。
こうすれば今の自分に対して嘘になるし、
こうしなければ今までの自分に対して嘘になる。
一体どうするのが、
自分にも、自分以外の人々にも、適切なのだ?」
という判断が、非常に難しい。
本人は気力を振り絞って、
誰に対しても、何に対しても嘘にならないよう、
その状況に対処しているのだが、
周囲から見れば、何が起きているのかよくわからない。

そういう状況をあとから思い返すと、
「ああ、やはりああするのが適切だったよな」
と思う。

だが、自分に嘘をついたり、
他人に嘘をついたりする癖がついているような人は、
歳をとってから現れるこういった状況に、
対処できなくなっているのではないだろうか。
そして、
「対処できずに自我が崩壊してしまう人」と、
「どうにかこうにか状況に対処している人」は、
周囲から見ても、
殆ど判別できないのではないだろうか。

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「絶対に正しいこと」に対してどうふるまうか、
「絶対に間違えていること」に対してどうふるまうか、
「絶対に正解がない」ことに対してどうふるまうか、
「自分自身」に対してどうふるまうか、
「自分ではないもの」に対してどうふるまうか、
結局は、「自分次第」ではある。

自分以外の人も似たようなことを思っていたり、
或いは思っていなかったり、
他人に「自分だけの真実」を押し付けたり、
そのために何とかして他人に嘘をつかせようとしていたりするわけだから、
おのずと人生は複雑になっていく。
対処は難しい。

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経験によってのみ蓄積されうる、
こういった法則のない“叡智”のようなものは、
どういうわけだか、なんとなく、
みすぼらしい。

「しょうがねぇなあ」
と困惑しながら、人生の後半を進む。

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